瞑想修行はうつ病治療に効果的なのだろうか? その2
こんにちは! 瞑想修行研究家の藤原です。
私のブログのなかで、一番読まれているのが、圧倒的に「瞑想修行はうつ病治療に効果的なのだろうか? その1」です。これは、「瞑想修行」という言葉よりも「うつ病治療に効果的」という言葉に惹(ひ)かれて、クリックしていただいたのではないかと、想像します。
であるならば、もっと「うつ病体験」について書き綴るべきなのではないか、とずっと思っていました。ただ、「無門関」と「臨済録」をまずやっつけることが、私の中で大きな意味をもっていて、そこに手をつけることができないでいました。
今こうして、「うつ病について書いてみよう」とパソコンに向かっていますが、一方で「私の個人的な体験」が他の患者さんにどれだけ意味をもつのかは、全く自信がありません。それほど、うつ病は個々に違う様相を呈していますし、外からの見た印象だけで、あれこれ無責任なことは言えないような気がするのです。また、一般論を展開することも無意味です。
本人には「死ぬほど辛い」体験も、他人から見れば「そんなことぐらいで、凹んでいるのはおかしいよ」ということになります。私にも同じような体験があります。
うつ病への無理解には正直凹んだ
遠くから友人が訪ねてき、一旦は「うつ病で調子が悪いので・・・」と面会を断ったのですが、後から思い直し彼の宿泊のホテルに早朝会いに行きました。事情をボソボソと話すと、彼はこう言いました。
「そんなことぐらいで・・・もっと、借金だらけになっているのかと思った」
確かに、確かに、こんなことくらいで挫(くじ)けていてはいけないのだ、本当にそうだ、情けない・・・。そういう思いが、私を打ちのめしました。しかし、友人には全く悪気はありません。普通のひとの普通の感覚を述べただけなのです。
うつ病の辛さは、他人の無理解が大きな部分を占めるのかもしれません。また、無用な自責の念も。
また、こんなこともありました。
小康を得て店番をしていると、顔なじみの客が来て、事情を話すと、「情けない・・・まだ、子どもも小さいのに」
長男が小学校1年生、長女はまだ保育園に通っていました。「そんなこと、あんたに言われなくたって、わかってるよ!」相手が客でなければ、そう怒鳴りたいところでした。いや、そのときはそんな元気もなかったかもしれません。
うつ病は、なった人でないと、わからない病気
今2つの例を挙げましたが、もっと微妙なところで傷つくことも多々ありました。私は割とうつ病であることを隠さずにカミングアウトする方なのですが、そうすると、たいていの人は「急に引いて」しまいました。話を受け止めようとせず、話題をずらしたり、そそくさと逃げるように立ち去るのです。
このような感じ方は、多分に私の僻(ひが)み根性が混じっていて、公平な判断が下せていないだけなのかもしれません。しかし、うつ病に共感を寄せて話を聞いてくれる人は、一般の人の中には、ほとんどいませんでした。精神科医のカウンセリングが唯一の慰めでした。そういった意味でも、主治医のM先生には恩義を感じていますし、精神が不安定なときは、まさに命綱でした。
うつ病の内面は健常者にはわかりません。「この病気はなった人でないとわからない」のです。私だって、実際になったとき、つくづく実感しました。「叔母(先にうつ病になっていた)の気持ちは、自分にはわかっていなかった・・・」と。
その後何年かして、父親がパーキンソン病の母親を看病しているうちに、重いうつ病にかかってしまいます。札幌から関西に電話をして、次のような会話をしました。
私「けっこう、うつ病って、しんどいやろ・・・」
父「はあ、ほんまにしんどい病気やなあ」
私「僕もそれになったんや、何年か前に。いまでも完治したとはいえない。ときどき症状がでる。今ではたいしてことないけど、ひどいときはほんっまにしんどかったわ・・・」
父「・・・あんた、苦労したんやなあ」
最後のひと言は実感がこもっていました。
のど元過ぎれば熱さを忘れる
しかし、その死ぬほど辛いうつ病も、小康を得て時を経ると、その辛さの記憶が薄れていきます。忘れてしまいたい記憶ですから、なおさらです。そして、うつ病の人と接したり、その手の記事を読んだりすると、記憶が甦(よみが)りそうになるので、気をつけて接します。
だから私も、うつ病患者との会話を避ける人の気持ちは、幾分わかるのです。感情に共感することは、感情に感染することに似て、危険を伴うものでもあります。感情に巻き込まれず、しかも寄り添うという高度な技術が必要とされます。
精神科医やカウンセラーにはこの資質が必要ですが、この資質を持っている人は少ないように思います。私は本当に運が良かったのです。
うつ病、その後
さて、私のうつ病はその後どうなったのか、書かなければなりません。M先生の見立ては「古本屋を自営していくこと」が私のストレスになり、それがうつ病の主な原因であろう、というものでした。私もそう思っていました。
そして、2022年末をもって、30年間にわたる古本稼業にピリオドを打った。同時に「これでうつ病ともおさらばだぁ!」と思っていた。ところが、どっこい、私のうつ病は予想以上に根深く、私の中に潜んでいたのです。
紙数も重ねてしまいました。続きは「その3」でお伝えすることにします。
少々お待ちください。