瞑想のすすめ②その効果は?

 

こんにちは!

前回の記事に対する皆さんの反応がわからないので、続編をどんなかたちで続けていったらいいのか、さっぱりわからないのですが、「瞑想を皆さんにおすすめしたい」という熱い思いのおもむくままに、進めていこうと思います。今回もよろしくお願いします!

ひとり瞑想会の実況中継

ふだんは禅寺の早朝坐禅会に参加しているのですが、月に2回坐禅会の休みがあります。そんな日も坐禅をやりたいと、職場(10坪の古本屋)でひとり瞑想会(坐禅という言葉はあえて使わない)を先日から行っています。その様子を皆さんに実況中継してみたいと思います。では、さっそくはじめましょう。

 

まだ薄暗い早朝のこと、頭を丸刈りにした小さな男が、街なかの古本屋の玄関先に立ちました。上下ジャージのラフな格好です。あ、鍵を開けて中に入っていきます。ちょっと一緒に忍び込んでみましょう。

●ははあ、本がいっぱいだ。狭い通路を男は奥に進んでいきます。突き当りはCDのコーナーです。トイレから何か引っ張り出してきました。組立て式の踏み台、ダンボール、それから、これは? 白い模造紙ですね。どうするのでしょう。CDの棚に貼って白い壁を作りました。その前にダンボールを敷き、さらに踏み台を置きました。どうやらこれを椅子代わりにするようです。

●踏み台の上に薄いフカフカの敷物を2枚重ねて置き、坐ります。靴下を脱ぎました。手に取ったのはキッチンタイマー。25分に設定してボタンを押します。立って、白い模造紙に向かって合掌、そのまま礼をして、坐ります。

●裸足は肩幅に開いてダンボール上に、手はへその前あたりで軽く組んでいます。背筋は真っ直ぐ伸ばしています。

目は軽く伏せるようにしています。半眼というやつでしょうか。呼吸は穏やかで、お腹が微かに膨らんだりちぢんだりしています。

キッチンタイマーが鳴りました。25分経過したようです。

気になる瞑想の効果

とまあ、こんなぐあいです。私はもう13年も毎日こんなことをやっています。最初はあぐらをかいてやっていましたが、10年過ぎた頃から左膝の調子が悪くなり、今では椅子でやることが多くなりました。体調にもよりますが、毎日1~2時間はやる習慣がつきました。この瞑想修行を続けながら、なおかつ皆さんに瞑想をおすすめしたい、すでにやっている方には道をまちがえないようにアドバイスしてあげたい、と思っています。もちろん上級者からは学びたいと思っています。仏教では特に禅仏教ではトップダウン方式で学ぶことが多いようですが、私は西洋式のワークショップ的な「学び合う場」「分かち合う場」を好ましく思います。そういう場があったらいいなあ、とちょっと思っています。

 

それはともかく、瞑想の効果についてお話しましょう。前回「効果を求めすぎるとかえって逆効果」といいましたが、初心者の方は「効果を期待して頑張る」ということでいいと思います。私もそうでしたから。今回は初心者向けに効果をご説明し、後で中級者向けに「効果を求めることの弊害」をご説明いたします。

 

①こころの健康、からだの健康に効き目あり

以前の記事「瞑想修行はうつ病治療に効果的なのだろうか?」でも申し上げましたとおり、こころの健康については、私自身が実証しています。科学的根拠がないといわれるかもしれませんが、私の精神科の主治医も驚いておられましたし、うまくやれば効果があることはまちがいありません。ただ、重度の患者さんは状態が安定するまでは控えたほうがいいかもしれません。

 

また、精神科にお世話になっていない普通の方々にも効果はあります。それに、「オレは普通」と思っている人も、瞑想をして自分のこころを観察すれば、けっこうグチャグチャでびっくりするかもしれません。嫌ないいかたかもしれませんが、普通のつもりでも病んでいる状態であることが普通なんです。それほど、こころは放置されていますし、ケアされていない状態なんです。現代は、からだの健康はわりと気にかけられていますが、こころの健康にはあまり気を配られていないように思います。病気になってからでは何かとやっかいです。予防のために、ぜひとも瞑想をしてほしいというのが、私の苦い経験からのお願いです。

 

こころの健康が保てれば、自然とからだの健康もついてくるものです。私は医者ではありませんので、これも科学的根拠は示せませんが、瞑想をはじめてからの13年間、ただの一度もカゼはひいたことがありません。カゼっぽくはなっても熱を出したり、寝込んでしまうことはありませんでした。これもシロウト考えではありますが、免疫力がアップするような気がします。体感的にザックリいってみれば、くよくよしなくなるので、からだの調子も良くなるということでしょうか。

 

②怒りが少なくなり、穏やかになる

瞑想を続けると、こころが落ち着いてきます。シェイクしたドレッシングは具材が活発で不透明な状態です。これをテーブルの上に置いてしばらくすると、具材が下に沈んで透明な酢と油が見えてきます。このように、こころの要素が落ち着いてくるのです。こころの要素とは、思考、感情、知覚です。この効果はわりと早い時期に感じられるようで、皆さんがそういいます。

 

また、これと関係することですが、怒りが少なくなってきます。以前はちょっとしたことで腹を立ててトラブルを起こしていたのが、怒りという感情にすばやく気づくことができ、とどまることができるのです。怒りの種類にもいろいろあります。

 

怒りには嫉妬、張り合い、怨み、軽視、後悔、物惜しみ、反抗があります。瞑想が進んで気づきのパワーがアップすると、このような怒りに繊細に気づくことができるようになります。怒りが起こった瞬間、まるでタコが墨をぶぁと吐くようにそれがわかるのです。そうすると対応しやすくなりますし、瞑想を続けていくで自然に怒りが少なくなっていきます。私の経験からいえば、このことは想像以上に合理的なことでした。まじめにチャレンジすれば、怒りが自分の体と心を著しくそこねていることがわかり、わざわざそれをすることはなくなる、というプロセスに皆さんきっと驚かれることでしょう。

 

くわしく知りたい方はスマナサーラ長老長老の「怒らないこと」(サンガ新書)という名著がありますので、参考にしてください。

 

③ぐっすり眠れる

眠れないことは辛いことです。私もそういう時期がありました。当時のことを思い出してみると、あれこれ「将来のこと」を心配していました。今その「将来」とやらを生きています。別にどおってことはありません。そうすると以前の「将来の心配」が全くムダだったことに気づいて、ガクゼンとします。

 

人間だけでなく、すべての生き物は今を生きています。今しかありません。今しか生きられないのに、人は過去を悔んだり、未来を心配したりする、これが人間の精神病の原因です。

 

「今だけしかない」ことにしっかりと気づくこと、これが瞑想のキモです。こころがさまよって落ち着かない、不安だというのは「今から逃げ出している」からです。「今しかない」ことに気づき、「今にしっかりとどまること」を学び、「今の質」を上げることが瞑想の目的だといえます。

それがわかれば眠れないことなどありえません。睡眠薬のお世話にならなくとも、泥のように眠れることでしょう。

 

効果を求めることの弊害

最初に申しましたように、初心者は効果を期待して瞑想をしてくださって結構です。正しく行えば効果は感じられますし、結果をだそうと頑張ることもいいでしょう。しかし、ある程度瞑想を行って「もっとこのことを追求したい」と思ったとき、このなんというか、ガンバリズムの方法では行き詰ってしまうのです。そのことを前もってお話しておきましょう。ですから、ここからは中級者向けと心得てください。

 

「今しかない」といいました。これは事実としてそうです。時間は幻想です。「えー、そんなバカな!」と思われるかもしれませんが、これにはちゃんと科学的根拠があります。私がこの考えに触れたのは「時間はどこで生まれるのか」(橋元淳一郎 集英社新書)です。非常に面白い本です。興味をお持ちの方はぜひ読んでみてください。本書によると気温という我々に馴染みの深い基準も、ミクロの世界では発見できないようです。原子の動きがあるだけで、温度という基準は見当たらないのです。それと同じく時間も、ミクロの世界ではないのだそうです。

 

このことを瞑想を通じて実感することもできます。いえ、今この文章を読みながら実感してみてください。今以外の何かが見つかりますか? そうです。見つかりません。「さっき」だの「これから」だの「1時間前」「1時間後」などは「考え」にすぎません。その「考え」の現れるのも今です。このことをまず確認してください。納得していただけた前提で先に進みます。

 

瞑想は「今にしっかりとどまること」といいました。では、「効果を期待する」というのはそれにかなうでしょうか、それともそむくでしょうか?  答えは「そむく」のです。「いや、瞑想中はそういうことはない」と断言される方もおいでかと思いますが、なかなかどうして、無意識のうちに期待していることが多いのです。瞑想が浅いうちはそれに気づけない、といえるかもしれません。ですので、「達したい」「このようにありたい」「ほめられたい」というような欲望は持たない方がいいのです。

 

なかなかわかりづらいかもしれませんが、もっと感覚的にいってみましょう。川の流れに立つ一本の棒を思い浮かべてください。「川面に垂直方向にある」ことが瞑想の強度を表します。

瞑想が深くなれば、この垂直の棒は川の流れに左右されずにしっかり立ちます。しかし、川の流れに流されそうになると垂直の力は弱まります。川の流れに当たるのが、思考です。この場合は「期待」に当たります。思考は「今にあること」「垂直にあること」を妨害します。「期待」はごく普通の思考ですし、世間一般でも悪いものとは考えられていませんが、思考を強くすることに変わりはありません。

一見特にとがめることもないようなことが、「瞑想=今にあること」を妨げ、それに気づけないで行き詰ってしまうことがあります。そのことに注意をはらってほしいのです。

 

もうひとつ例をあげてみます。私はときどき温水プールにいって小一時間泳ぎます。そのときの経験からの見解です。

プールで泳ぐという行為には2つの力がはたらいています。1つは前に進む力です。クロールを例にします。手の回転とバタ足がそれに当たります。もうひとつは浮力です。あまり進む方に力をこめると体が緊張するせいか、体が沈みがちです。むしろリラックスして「泳ぐ」より「浮く」方を意識して手足を動かすといいようです。

 

瞑想のコツもそれに似ています。「良くなりたい、良くなりたい」とせっかちに結果を求めずに「ふわっと浮くような感じ」でやったほうがうまくいくということです。初心者は一生懸命でOK。しかし、少し慣れてきて中級以上になれば、力を抜くというポイントにも気をつけてください。「今にしっかりある」ということは、力技ではなしとげられないのです。「なしとげる」という言葉も時間軸にありますので、そぐわないのですが、要するにコツをつかんでください、といいたいのです。

それでは、今回はこのへんで。皆さんのこころとからだの健康をお祈りいたします。

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