瞑想知恵袋 その39 近況報告・不安症の男、胃カメラを飲む
こんにちは!
気楽なとうさんのトホホな日々
昨年の夏に転職し、長年お世話になった坐禅会からも離れ、新しい職場に慣れようと躍起になるうちに、日々の修行がしんどくなり、「修行は一時休止」として、とりあえずその日その日を暮らしておりました。
新しい職はマンション管理人で、週3日午前のみ。私にもできるだろう、くらいの気楽な応募でした。ところが、研修なるものを受けてビックリ。管理人の仕事は住民への責任もあり、覚えることもたくさんあって、3日間の研修を受けるうち「できるだろう」が、「できるだろうか?」あるいは「できないかも・・・」になっていきました。
「もっと気楽に考えましょうよ!」と言われたけれど
研修を終え、先輩からの現場引継ぎが4日間あり、そのあとは単独勤務です。1~2ヶ月間は、ものすごく緊張して過ごしました。私は神経質ですからね。それだけは自信があります。
毎回、何かしら真新しい出来事が起こってくる、それに対処しながらも、通常の業務(主に掃除、冬は雪かきも加わる)をこなしていく。単純そうに見えて、なかなか大変な仕事なんです。
私ときたら、未知のイレギュラーに対して異常に構えてしまう。考えても仕方がないことを、「ああなったら、どうしよう。こうなったら、どうしよう」と思い悩む、不安になる奴。そのために、普通の人の3倍くらい気疲れしてしまう。つくづく損な性格をしているのです。
私があまりにも大層に構えて不安がるので、周囲の方々は言いました。「もっと気楽に考えなさい」と。励ましの言葉は嬉しいのだけれど、私にとっては「気楽に」とか気楽に言うなよ、というのが本音。「気楽に」と言われ気楽にできたら、俺だってとっくにそうしてるよ。できないから、苦労してんのよ、てな具合。
仕事がオフの折も勤務への不安があるため、休日も仕事を覚えようと努力しました。家人に言わせると「サービス残業だ」ということになりますが、本人はジッと休んでいられないのです。それなら不安を少しでも少なくするために仕事に備えよう、という了見です。損得勘定ではないんです。
目一杯努力してみて、失敗、あるいは続かないのなら仕方がない。人は言います。「最低賃金のバイトなんだから、そんなにしゃちこばらなくても」と。確かにそうだ。でも、性格的にそうできないから、本人は困っているわけです。それでこう考えました。全力でこの仕事に取り組み、ダメだったら辞めて、次の職を探そう。
3冊あった仕事マニュアルを、それぞれ3回ほどザッと読み込み、必要なことは「まとめ」と称してパソコンで活字化し、職場で学んだことはその場でノートに殴り書きし、後で復習するというような具合で、まるで大学受験以来の勉強ぶりでした。
ただ大学受験と違ったのは、当時二十歳前の男が六十過ぎの男のになったことです。読んでも読んでもすぐに忘れてしまう! 忘却力が半端なく育っているのでした。しかし、言葉では忘れてしまっても、実際にその事柄を現場で体験し、身体を使ってこなしたことは確実に身に付いていき、だんだんと精神的にも肉体的にも楽になっていきました。
そして、3ヶ月目の10月頃、やっと初勤務のピリピリした緊張感から、やや解放されたような気がしたのです。
久々に坐禅会に参加するも、身体が嫌がっていることに気づく
仕事もそこそこ何とかなったようだし、今度は仏教修行に身を入れてみようと、10月に入ってから禅寺の坐禅会に参加してみました。以前通っていた臨済宗の寺ではありません。曹洞宗の別の禅寺です。土曜日のみ坐禅会がもようされており、以前何度か参加したのですが、転職の際途切れてしまい、そのままになっていました。
久々に参加し、坐り心地も悪くなかったのですが、次の日から虚脱感のようなものがあり、寝込みました。その際に「ああ、俺はもう坐禅したくないんだな」と悟ったのです。完全に辞めてしまうというのではありませんが、「今はもうやりたくないのだ」と身体で感じたのです。
しばらく坐禅は封印しようと決心しました。やりたくなるまで待とうと思いました。それでかえって気楽になるかと思いきや、逆に手持ち無沙汰になり、目標を見失い、生きがいを失ったような気分になりました。張り切っていた風船がしぼんでしまったようでした。
職場への過剰適応の反動かもしれませんし、ちょっとした燃え尽き症候群だったのかもしれません。仕事がある日は昼食のあと寝てしまったりすることも多かったような気がします。休日は休日で、何にもやりたいことがない状態。本も読みたくない。修行への興味も薄れていくようで、「これから何を目的に生きていったらいいのだろう・・・」と暗い気持ちになっていきました。これじゃあまずいよなあ・・・と思いながらも修行に戻る気にもなれず、かといって「普通の生活」にも興味がもてない状態でした。
また、やって来た、食欲不振
それは12月2日(月)の朝でした。またいつもの、突然の「食欲不振」が始まりました。そんなのよくあることじゃん、一食ぐらい食べなくたってなんてことないでしょ、と思われるかもしれしれません。そうですよね。なぜ、そう気楽にやり過ごせなかったのか、自分でもわかりません。しかしながら、今までに何度も襲われた「食欲不振」です。どう説明していいかわかりませんが、普通の食欲不振ではなく、「あ、また来た」という私独自の症状なのです。
精神的なものから来るのかもしれません。過去の例では、お粥などの軽食を取りやり過ごそうとするのだけれど、ままならず、セパゾン(抗不安剤)を飲むと良くなる、というパターンでした。私としては、不安の自覚がないにもかかわらず、飲むと良くなるということは、無意識のレベルで不安が押し寄せて来ているということになり、「禅で不安に打ち勝つ」ことを目標にしていた私としては、「セパゾンで良くなる」ことは内心忸怩たるものでした。
今回はそのようなプライドから少々解き放たれて、セパゾンは一日3回飲むようになっていました。なので、それプラス、一時休止していたセルベックスという胃の粘膜を保護するという薬を併用するようにして様子をみました。一口食べて薬を飲む。後はひたすら横になって休む、という養生をしてみました。あまり食べないので、一週間で5~6キロ瘦せました。
ところが、一週間飲み続けても効果がない。もう少し様子を見ようかとも思いましたが、家人がうるさく、また、年を跨いで治療するのも厄介だなあ、ということで、早めに通院中の精神科医に出向き相談しました。できれば、薬を増やしてもらおうと思って。
ところが、あにはからんや、「胃カメラの検査をまず行え」と言われました。その上で胃に問題なければ、薬を増やすことも考えましょう、ということになった。
さあ、大変だ。半ば想定していた事態だったが、本当に胃カメラ検査を受けるとなると、怖ろしいような気がしてきます。帰路いたたまれない思いで、ええーい、ままよ、とばかり、自宅近くの内科消化器科を訪ねました。胃カメラ検査はできますか? と聞くとできると言う。診察を受けてから胃カメラ検査の予約を取るというシステムらしい。診察を待つ人は多く、疲れも感じたので、後日出直すと言い、自宅に戻りました。
胃カメラ検査なんか怖くない
診察日当日、万が一当日検査を受けることを想定し、朝飯は抜いていきました。というよりも、そんなに食べたくもなかったということもあります。しかし、抜いていって正解でした。キャンセル空きがあり、少し待って検査を受けることができました。
食欲不振は胃以外にも原因する場合がある、とのことで、①胃カメラ検査 ②エコー検査(超音波) ③血液検査、を受けました。
胃カメラ検査にも選択肢があり、麻酔なし、一部麻酔、完全麻酔(意識がなくなる)の3種類がありました。私は一部麻酔を選択しました。
まず、鼻の穴の両方に小さな注射器で2種の麻酔薬を注入します。そして、片方の鼻の穴に10数センチの細い管を差し入れます。一方で点滴が始まります。それが効いてくると、意識が軽くボーっとしてくる。待ち時間が10分くらいだったでしょうか、医院長自らお出ましになり、1メートル近くある直径5ミリ程度の黒い管を、鼻の穴からスルスルと入れていかれました。
麻酔薬が効いていたせいか、ほとんど抵抗を感じませんでした。ただ、目の前のディスプレイで自分の胃の中を先生と一緒に見ることになりました。思ったよりも綺麗に見えたのは、麻酔薬のせいでしょうか? 何度か往復した末、最後に組織を一部摘まみ取られました。その間、10分もあったでしょうか。
終わると、看護師さんに誘導されながら、ベッドに行き横たわり、そこで小一時間麻酔が醒めるのを待ちます。気持ち良かったです。「ここで一晩泊まっていってもいいなあ」と思ったくらい。
怖れていた胃カメラ検査でしたが、以前毎年受けていたバリウム検査より、ずっと楽でした。バリウムはベッドがかなり動いて姿勢を保つのが苦しいし、下剤を飲んだ後のこともあります。それを考えると、胃カメラ検査は楽でした。私の想像が恐ろしかっただけで、実際は簡単なものでした。医院長先生が上手だったせいもあるでしょうが。
そして、診察、「異常なし」にホッ
診察室のパソコンで医院長と一緒に私の胃の中を確認した結果、異常は見つかりませんでした。ピロリ菌検査も意外に陰性でした。エコー検査も問題なし。後日になりますが、血液検査も問題ありませんでした。バリウム検査でポリープを毎回指摘されていたので、治療は必要かたずねてみました。
答えは意外でした。ポリープはあるが、良質なもので、この程度のポリープを治療しなければいけないのなら、日本人の3分の2がそれに該当する、これはホクロみたいなものと思ってください、とのことでした。
で、結局食欲不振の原因は・・・? 胃の中に赤い小さな点のようなものが、ところどころにあり、これは炎症。なので、強いて病名を付けるなら胃炎・・・ストレスからくる食欲不振かなあ、と言われました。セルベックスはこの状態にはあまり効果的ではない、「お薬出しますか?」と言われたが、血液検査の結果を見てからということにした。
そして、数日後に、胃酸の分泌を抑える薬(ラフチジン)と消化の働きを促す薬(モサプリドクエン酸塩)を処方してもらって、それで徐々に本来の食欲を回復していきました。
放っておくのが一番
だらだらと、自身の病歴を書き綴ってしまいました。さぞご退屈なさったことでしょう。そろそろ言いたかったことを言い終えておしまいにします。
食欲不振は、いろいろな原因を言おうと思えば、いくらでも言える。「手っ取り早く良くなりたい」がために原因を探り、対策を講じてみる。効果がなければ、別の原因を想定し、また対策をする・・・。この繰り返しです。だけど、今回検査を受けてみて、思ったよりも肉体的には健康なことがわかった。
では、精神的な問題として捉えるべきなのだろうか。たぶんそうなのだろう。しかし、意識できている面については対策の立てようもあるが、無意識のレベルでの問題だとすると、もうお手上げです。無意識とは意識できないことですからね。
無意識のレベルで何が起こっていようと、コントロールの仕様がない。例えれば、台風がこようが、大雪が降ろうが、地震が起ころうが、私の小さな自我はどうすることもできないのです。私は起こったことを受け入れるしかない。受け入れた上で、できそうなことをやってみる、それしかないことがわかりました。
今回の突然の食欲不振、毎度のことはいえ、多少ジタバタしましたが、状況を受け入れつつ、可能な限りの対処は冷静にできました。我慢強く養生もした。まあまあの出来だと思います。
学んだこと。
無意識の領域(身体の領域ともいえる)は、放っておくしかないのだ。それを何とかコントロールしようとあがくところに、人の苦しみが生まれるような気がしました。
言い換えましょう。無意識のことは無意識にまかせろ、身体のことは身体にまかせろ。
意識できて、自分に手に負えそうなことだけをしっかりやれ、それ以外何もするな。ジタバタしても良いが、ジタバタに「気づいている状態」で居よ。そして、それについては良い悪いなどのジャッジをしない。感情的にならない。
以上。
ここまで、読んでくれた方、ありがとう。書くことで、やや気が楽になったような気がします。あなたの心もこの文章を読むことで、何かしら得るものがありましたら、大変嬉しく思う次第です。