瞑想知恵袋 その14【「禅 空を生きる」アジャシャンティ著 太陽出版ー感想文③】

 

 

こんにちは!

感想文、というより「抜粋とコメント」を続けます。

 

●挫折に挫折を重ねたあげくに、とうとう私は師に「自分のやり方を見つけなさい」と言われた。

●その方法は、一点に集中するかわりに、ただいることであり、完全に開かれることだったのです。それは「集中する」よりも「聞く」により近いものです。

コメント「すべつの修行者は、自分のやり方を見つけるべきだ、というのが私の結論です。初心者の頃会員の長老格の方に、単刀直入に『どうしたら悟れますか!』と聞いてみた。答えは『師の言うとおおりにしなさい!』であった。でも、こと私に関しては、そのアドバイスは間違っていた。

振り返ってみると、すべての教師は自分の成功体験に基づいて話をする。それにピッタリはまる人は幸運な人だ。合わない人もなかにはいる。私の場合は、ある時期、師がら遠ざかり、自分本位で勉強し瞑想を続けたことが、かえって良かった。私の体験を普遍化はしまい。

しかし、アジャシャンティも他のテキストで言うように、『師は悟りへのガイドにすぎない。実際に体験するのはあなた』と言っている。また、『悟りへの道は人それぞれの様相を呈する』というようなことも言っていた。

お釈迦さまも盲信は厳しく諫めている。自分で確かめ、自分の道を切り開く必要があるようだ。かえってそれは、しんどいことだけど・・・」

 

●(瞑想は)その本質からも、努力や格闘を伴うものであってはなりません。また継続を強いないものでなければなりません。

コメント「瞑想修行は意外にもそうなんです。

私は昭和30年代生まれ。漫画『巨人の星』や『あしたのジョー』に感動していた世代。母親も何かあると、根性を強調した。『根性で何でもどうにかなる』と思い込んでいた。

人間のコントロールを重視し過ぎたために、『自然にどうにかなる』ことを軽視しがちだったし、長い間、その意味もわからなかった。都会育ちはそうなりやすい。自分の中の自然を繊細に感じながら、修行を進めていくようでありたい。

日本の野球界でも、三千本安打の張本勲選手の頃は、根性主義。なにかというと『走り込みが足りん。喝!』なんて言っている。ダルビッシュ有選手がそれに異論を唱えている。私はダルビッシュ選手に共感をもつ。

日本禅も根性主義から、なんと言っていいのか、もっと知的なもの(これが日本禅では否定されちゃうんだよねぇ・・・)に脱皮していくべきだと思う。日本禅は言葉を軽んじているし、そのため使い方が不正確だ。要するに言葉を否定し過ぎている。

 

●あなたが自分について感じることや思うことは、本来のあなた(本来の面目=真我)と何の関係もない。

●(自分や世界についての)すべての仮説や解釈、古い物語に疑問をもってください。厳しく抑えつけることも甘やかしもせずに、ただじっと静かに問いかけ、意識を保ってください。

●エゴという幻想から完全に自由になるためには、それは無意味なものと見なすことが大切です。

●愛はマインドがつくりあげるゲームには加わらないのです。

コメント「真我の性質のひとつが愛である、と知ったとき、『ああ、良かった』と思いました。世界の現象を見るにつけ、殺伐としたもの、またバラバラなものに思え、気持ちが暗くなっていました。本質が愛である、という発見は私の心を明るくしました。たとえそれが、知的なものにすぎないとしても。

愛である、ということは、私ふうに言い換えれば『すべてを受け入れる』ということだと思います。

もっと、そのことを実感したいというのが、私の修行のモチベーションになっています」

 

●本当に自由になりたければ、あなたの世界全体を失う覚悟をしなければなりません。

●ほとんどの人はある思い込みを手放したら、必ず別の思い込みを取り入れるのです。

●雑草取りと同じ。葉だけ引き抜いても、また生えてくる。根本を引き抜くと、あなたという概念大系は丸ごと崩壊する。

コメント「確かに、瞑想修行はきりがない。それなりに頑張ってやっているのだけれど・・・。根本を引き抜くところまでは、なかなか・・・ね」

 

●修行者は皆、コントロールの問題を抱えている。

●コントロールの欲求とは、腹の中に「にぎりこぶし」があるような感覚。

●私たちののコントロールという根源的な感覚の守護神は『憤怒』

●何のコントロールもない人生の突然の訪れとは、すなわち(自我の)死。

●「私は何かを求めつづける人間。求めることをやめたら自分がいったいどうなってしまうか分からない」といった思い込みとともに人生のいたるところで機能しています。

コメント「『どうしたらコントロールを手放せますか』という質問も、別方向のコントロールらしい。未知のものに開かれていること、がキーポイントらしい」

 

●気づきはつねに完璧なる破壊者です。分離というすべての感覚の破壊者であり、真実でないものの破壊者です。あなたの人生に真理を詰め込もうとする虚しい努力をやめて下さい。あなたの人生を真理の中に投げ捨てて下さい。

コメント「最後の文章、カッコイイですね。

道元禅師の『ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏の家に投げ入れて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、力をも入れず、心をもついやさずして、生死をはなれ仏となる』に通じるものを感じますね。」

 

今回はこの辺で。まだ、続きます。

 

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