【臨済録】やさしい現代語訳・解説 行録13
こんにちは!
今回は、恐れながら「不立文字」に物申します、の巻。
①読み下し文
襄州(じょうしゅう)の華厳(けごん)に到る。厳、拄杖(しゅじょう)に椅(よ)って睡る勢(せい)を作(な)す。師云く、老和尚瞌睡(かっすい)して作麼(そも)。厳云く、作家(さっけ)の禅客、宛爾(えんに)として同じからず。師云く、侍者、茶を点じ来たって、和尚に与えて喫せしめよ。厳乃ち維那(いのう)を喚(よ)ぶ、第三位に這(こ)の上座を安排(あんばい)せよと。
②私訳
臨済は襄州の華厳和尚に到った。
華厳は杖に寄りかかり眠っていた。
臨済は言った。
「老和尚、眠っていてどうします」
華厳「師家(しけ)の禅客はさすがに違う」
臨済「侍者よ、茶を立てて和尚に差し上げよ」
華厳は維那(いのう・寺務の役)を呼んで言った。
「この優れた方(臨済)を第三位(指導者の地位)の席に案内しなさい」
現場検証及び解説
この項は特に見るべきものがない、平凡な話のように思います。臨済はパッと見、普通の禅者とは違うオーラを放っていた。そういう話に過ぎません。解説はやめにして、次の項に進みましょう。
①読み下し文
翠峰(すいほう)に到る。峰問う、甚(いず)れの処よりか来たる。師云く、黄檗より来たる。峰云く、黄檗何の言句有ってか人に指示す。師云く、黄檗に言句無し。峰云く、什麼(なん)としてか無き。師云く、設(たと)い有るも亦た挙(こ)する処無し。峰云く、但(た)だ挙(こ)し看(み)よ。師云く、一箭西天(いっせんさいてん)に過ぐ。
②私訳
臨済は翠峰和尚に到った。
翠峰は問うた。
「どこから来たのか」
臨済「黄檗より来る」
翠峰「黄檗はどんな言葉で人を指導しているのか」
臨済「黄檗に言葉はありません」
翠峰「どうしてないのだ」
臨済「たとえあったとしても、それを言葉にすることはないのです」
翠峰「まあ、言ってみなさい」
臨済「一矢はインドに過ぎ去りました」
現場検証及び解説
翠峰和尚が、しきりに臨済に法の内容を言わせたがりますが、臨済は頑なにそれを拒み、無言を示して去って行った、という話です。不立文字がテーマです。矛盾していますが、この不立文字をあれこれ言わせたがるのが禅の特徴です。「言えんところをあえて言ってみよ」と迫るのです。
言えないから黙ってます、というのはNGなのです。また、それでは本になりません。そして、言うとなったら、比喩、比喩、比喩です。わかりにくいです(笑)。
これが中国人のメンタリティなのだと思います。日本は長い間、隣国より言葉を輸入して自国の文化を培ってきました。漢字文化圏に私たちは育ち、明治以降西洋文化を急速に取り入れて、現在の文化的状況があります。漢文を読む際、日本と似たところ、共感できる面は確かにありますが、古代中国の漢字表現が必ずしも馴染み深いわけではありません。
これらのテキストは魅力的かつ味わい深いものでもあるでしょう。しかし、ゴテゴテした回りくどいレトリック(と私には思われる)を、いつまでも有難がっているのはどうかと思います。新たな表現で法を語ってみることも、今の時代、必要になってきているのではないでしょうか。
また、本にする以上、言葉に依るわけですから、言葉で言い尽くすべきです。言い尽くしたあと、ああ、言葉では言えないこともあるね、と皆で検討すればいい。私はそういう態度を好みます。
臨済の法を非難しているのではありません。テキストを批評し、次世代へのビジョンを提示しています。誤解なきよう、お願いします。
臨済の「一矢はインドに過ぎ去りました」は、即今は固定し得ない、とらえ得ない、ことを言っているように思います。言い得ない、言葉にできない、というのは、即今と言葉の性質を考えれば納得できます。
言葉はその性質上、時間を要します。「あ」だけでは意味を成しません。「あ・い・し・て・る」と時間をかけて意味を形成していきます。線のようなものです。また、言葉は空間を渡ります。「あ・い・し・て・る」を伝える相手がいます。空間を渡り、関係を繋(つな)ぎます。これも線です。時間という線、空間という線でできた平面が言葉の世界です。
それに対して即今は、この平面に垂直に刺さる極細の軸(比喩です。実際は長さ面積はない)のようなものです。平面には点(ドット)としてしか認識されません。長さもなく面積もない、ただの点です。点は線や面積と次元が違います。線や平面上に点は表現できません。同じように即今(点)は、言葉(平面)では表現できないのです。平面上に展開したものは、もう点とは言えません。これが「不立文字」の真相です。
伝わりましたでしょうか。もし、伝わったら言葉も捨てたものではない証拠です。
今回はこの辺で。近々にお会いしましょう。