瞑想知恵袋 その37 読書と動画で学ぶ仏教

 

 

こんにちは!

禅の修行時代を振り返って、思い出話を書き連ねています。良かったら、お付き合いください。

 

肌に合わなかった禅の本

初期には禅の本も少しは読みました。しかし、さっぱり内容がわからない。肝心な所ははぐらかされて、横ずれして別の話をもってくる。奇矯な逸話をポンとおいて、「さて、どうじゃ、この深い意味がお主にはわかるかな?」という感じ。

禅好きにはそこに、たまらない滋味を感じるのでしょうが、私はさっぱりなじめず、「禅は、わかったようなわからんような話ばかりするのだな」と思っていました。それはやがて、いら立ちに近いようなものになり、一旦禅を離れ、他の本を読んでみようという気になりました。

 

痛快だったスマナサーラ長老の著書

テーラワーダ仏教のスマナサーラ長老の本は痛快でした。書いてあることが、100%とは言えませんが90%はわかる。そして、面白い。「なんだ、仏教ってこんなに面白いのか!」と次々に長老の本を読み漁りました。ただ、実践はちょっと難しそうだな・・・という気はしました。

 

思い切って怪しい?領域へ

そこで、今度はちょっと毛色の変わったものを読んでみよう、という気になり、大型書店で「ニュー・アース 意識が変わる 世界が変わる」(エックハルト・トール サンマーク出版)を手に取りました。購入する前は「なんだか怪しい表紙、怪しいタイトル・・・大丈夫なのか」と半信半疑でしたが、読んでみると大当たりでした。

エックハルトさんは、アメリカ在住のイギリス人です。もちろん、見性体験もされています。内容もわかりやすく、面白い。本書はキリスト教からの引用も多いですが、「老子道徳経」「無門関」からの引用もあります。仏教をこんな角度から語ることも可能なのか、という驚きと共に読み終えました。

 

動画で当たりをつけて著書を読む

本書より、仏教から外れることに抵抗がなくなり、啓発されそうな本は何でも読んでやろう、という気になりました。Youtubeの動画の影響も大でした。どんなことからも学んでやろう、という気になっていました。動画で見つけた覚者、パパジ、ムージ、そしてラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ。この人たちはヒンズー教の覚者です。書籍を次々と買い込んで読みふけりました。

現代の仏陀とも言われているラマナ・マハルシを読んだとき、なぜか「このような人が噓を言うはずがない」という根拠のない確信に見舞われました。いきなり帰依してしまったのです。

それから、もう一人のインドの巨星、ニサルガダッタ・マハラジ。この人は、煙草屋を営んでいた普通の家族もちの中年男でした。実家が貧しかったので、小学校3、4年生の学力しかなかったのですが、ヒンズー教の熱心な信者ではありました。

友達に連れられて訪問したグル(宗教的指導者)に会ったときから、彼の人生はガラっと変わりました。そのグルはマハラジに「君は君が思っているような存在じゃないよ」と言ったそうです。マハラジはそれを信じました。それから、熱心にグルの話を聞き修行し、わずか3年の後に覚醒に至りました。

この人の言葉には力があって、簡潔明解で、学歴が低いなんてとても思えないほどです。対話集「アイ・アム・ザット 私は在る」(ナチュラルスピリット)はその筋では有名な名著です。

ラメッシ・バルセカールという人の本にも熱中しました。この人はニサルガダッタ・マハラジの弟子で、マハラジと西洋人との対話を通訳をしていた人です。そして、通訳をしているうちに悟ってしまった。銀行の頭取だった人ですから、いわばインテリです。マハラジとは、またひと味違う説き方をされています。

マハラジの教えを自分なりにまとめた「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」「意識は語る ラメッシ・バルセカールとの対話」(いずれも、ナチュラルスピリット)も大変面白い。

 

覚者は探せば案外いるもんだ

読書と同時にYoutubeでの覚者探しも、ひんぱんにやりました。日本人にも覚者はいました。私は見性体験はありませんが、なぜか「この人は覚者である」ということだけはわかりました。不思議です。日本の覚者を挙げてみましょう。

よく見る動画は「Yuikaのご機嫌俱楽部」のゆいかさん、「悟リリチャンネル」の悟リリさん、溝口あゆかさん、中野真作さん。もちろん、スマナサーラ長老の動画も見ます。

海外の方で、穏やかな話しぶりに引き込まれて好きになったのが、イギリス人で陶芸作家でもあるルパート・スパイラさん、著書に「プレゼンス」①②(ナチュラルスピリット)があります。これも大変わかりやすい良書です。スパイラさんの師匠筋にあたるのが、フランシス・ルシール「今、永遠であること」、ジャン・クライン「われ在り」(いずれもナチュラルスピリット)です。こちらもお薦めです。

忘れてはならないのは、クリシュナムルティ。そして「頭がない男」(ナチュラルスピリット)のダグラス・ハーディングです。この二人も参考になりましたし、人物も大好きです。

禅では、藤田一照さんのものを割とたくさん読みました。藤田さんは対談集が多いのですが、面白いしわかりやすい。物事をハッキリおっしゃるので、他の禅者とは全く違う。とても参考になりました。

 

仏教の輪郭がわかった!

思いつくままに私の読書体験、動画体験を挙げてきましたが、こうやって色々な本を読み漁っているうちに、ボンヤリと仏教の核心がわかってきました。禅はもったいぶってストレートに真実を述べませんが、その他の覚者はみんなハッキリと真実を述べます。禅のように何かに例えたりしない。それが私の肌に合ったのでしょう。

「ああ、そうか」と仏教の輪郭がわかりました。そして、一緒に修行している仲間たちのことを思ったのです。「あの人達、絶対に勘違いしている!」

これは大変だ、という思いにかられ、禅友に手紙を書いたり、そして、ブログで「無門関」「臨済録」を訳してみたり、こうして発信してみたり・・・。そのモチベーションの元になっているのが、「仏教(特に禅)は誤解されやすい」ということです。

知的レベルの理解にすぎませんが、私程度の人間がわかったのだから、「話せばわかる」のではないかということ。それと、わかれば世界認識が変わる、これは重要な教えであること、それをみなさんに伝えたくて、こうして拙い文章を書いているのです。

さあ、長くなってしまいました。今回は読書体験のご紹介だけにしておいて、次回、どのようなポイントで私たちは勘違いしているか、説明を試みようと思います。服の第一ボタンを掛け違えると、その後のボタンも全部ずれていきますよね。仏教の理解が、そうならないようにしてほしいのです。

 

では、次回の記事をお待ちください。

 

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