瞑想知恵袋 その17【近況報告&日本禅の総決算】②
こんにちは!
前回は、日本禅の批判を中心に述べましたが、今回は「良かった所」を中心に語ってみようと思います。
日本禅の総決算
① 毎日のように坐禅できる環境があった。
私のように意志の弱い者でも、とにかく坐禅堂へ行き、たとえ30分でも坐る癖がついたのは、お寺の存在(しかも、毎日のように在家者に坐禅堂を開放している)が大きかった。その点は本当にありがたかったと思う。
坐禅をやっているお寺は割とあるかもしれないが、せいぜい週に一度、それも短時間なので、本格的にやりたい方は物足りないかもしれない。それを思うと、毎日のように坐禅できるという環境は大変貴重だ。
そのお寺は、開業していた古本屋の近くにあり、自宅からもそう遠くなかったが、私は存在していることに気がつかなかった。
先代のご住職がたまたま弊店にいらっしゃって、「山本周五郎全集」と「西田幾多郎全集」をお買い上げ下さった。それが縁で、お寺とのつながりができた。それがおそらく1998年のこと。週に一度くらいのペースで坐禅に通うようになった。その頃は現在のように立派な坐禅堂はなく、畳の一室でやっていた。
最初はガチで修行に没頭する気は毛頭なく、たまに通うゆるい修行者であった。翌年1999年の7月にうつ病になり、さらに症状をこじらせ、3ヶ月完全に寝込んだ。その間、店舗は妻に任せっきりだった。
さらに翌年2000年は、店には出られるようにはなったものの、数年間は症状が安定せず、突然不安に襲われ、診療日まで待てず、予約を繰り上げてもらって病院に駆け込んだりしていた。
2008年10月から本格的に坐禅をやり始めたのは、新しい住職が赴任されたこともあったが、それなりに小康を得たからだろう。時々疲れて休んだりもしたが、ほぼ好調に修行は続いた。これも日本でも稀有な坐禅会の存在のおかげだといえる。
② 住職・仲間の励まし。
独りでやっているのと違い、仲間がいるというのは、何かと刺激になった。一緒にやっているというのが支えになり、励ましになった。
また、私はせっかちな性格で、早く進歩したいという気持ちが強く、焦って修行していたらしい。ご住職がある日の夕方来店され、開口一番「焦っちゃダメだって・・・!」と言って下さったのは、忘れがたい。そのひと言が私の良い薬になったのだ。
③ 「人間関係はない」という真実
何のときだったか、ご住職が「人間関係はないってことだ」と言われた。このひと言が響いた。
私はあがり症で、公案問答のとき室内に入り、住職の前に座ると、蛇に睨まれた蛙の如く硬直してしまうことが多かった。声がかすれて公案を諳んじることさえままならず、途中で言いよどんでだり、しどろもどろになったりした。
落ち着いてやろうとすればするほど、失敗した。しかし、あるとき、住職と室内で対面する際、自分の意識が住職に飛んで私に跳ね返るのと見た。いや、そのように感じた。そのとき、わかったのだ。
「そうか、私はこの公案問答に通りたいと思っている。そういう欲がある。住職に認められたいという欲がある」
だから、緊張してしまう。認められたいという欲がなければ、緊張もない。認められたい相手を意識し、どう思われるかと案じ、緊張してしまう。緊張の作り手は状況にあるのではなく、自分の意識がそのような仮想現実を創り出しているのだと、わかった。
これは大きな収穫だった。
タイトルに戻ると、人間関係も自分の意識が創り出した仮想現実である。本当はそれぞれが全く孤立していて、「人間関係はない」のだ。関係という幻想はそれぞれの個人が創り出している幻想である。「あの人は私を嫌っている」「どうやら、あの人を怒らせてしまったらしい」「きっとこの商談は上手くいく」「俺とあいつは無二の親友だ」・・・すべてこれらは、個人の勝手な思い込みにすぎない。
また、この世は無常である。人の心は変わるものだ。個我だけが「永遠に変わらない」と思いたがっている。
諸法実相に照らせば「人間関係はない」。心が人間関係を創り出す。もちろん、それは幻想なのだ。それは、心を観察すればわかってくることだ。
日本禅への提言
●岩波文庫の「臨済録」「無門関」の改訂を提言します。
「臨済録」について
「臨済録」は1箇所、ハッキリ間違っている所があります。「行録」のp.185の5行目「なんとかあいつに会って、思いきり食らわしてやりたいものだ」とあります。あいつというのは、おそらく大愚のことを指しているのでしょうが、これは大愚のことを言っているのではありません。読み下し文には「この漢を得来たって、痛く一頓を与えん待(ほっ)す」とあります。大愚とは言っていません。この漢とはこの男ということです。この男とは、大愚和尚の脇腹を打つというような失礼な真似をした男(臨済自身)のことを「殴ってやりたい!」と、黄檗和尚は腹を立てているのです。そうでないと、話の辻褄が合いません。
臨済は大愚のもとで見性体験し、境地が一変しました。別人のようになったのです。そのことにまだ気づかない黄檗和尚は、話の中の漢(男)と、目の前の男(臨済)が同一人物だと思っていない。大愚和尚に会う前の臨済(未悟の冴えない修行者のイメージ)が残っているので、只今対峙している覚醒した臨済と、話の中の臨済が上手く結びつかないのです。
巻末の「【臨済録】やさしい現代語訳・解説 行録」とクリックしていただくと、読み下し文、私訳、解説が読めますので、興味がある方は、読んでみてください。
「無門関」について
岩波文庫の巻末の解説で、西村恵信先生自身はこうおっしゃっています。「この現代語訳も従来の固着した伝統的解釈に拘束されることなく、訳者(西村恵信先生)の創意によって自由に試みられたものであり、今後大いに改めるべき余裕を残している」
「無門関」は本則・評唱・頌で構成されており、本則に対応するかたちで、頌(本則を称える詩)が置かれている。本則の隠された内容が頌によって分かるようになっています。
大変失礼な言い方になりますが、西村恵信先生の頌の訳は、その役割を果たしているとはいいがたいものです。まさに、西村先生の作り物でした。これは、大変まずいことです。なぜなら、「無門関」の意図がこれでは全くといっていいほど、伝わりません。
是非とも「無門関」の真意を理解している方が、訳し直してほしいものです。これは、臨済禅に関わる人々にむけての提言であると共に、岩波書店への提言でもあります。よろしくお願いいたします。
僭越ながら、私がはっちゃきになって(やたらに張り切って、という北海道弁)、「無門関」「臨済録」の私訳に取り組んだのも、間違った解釈がそのままになっていては、後進に対して申し訳ないという、使命感が少なからずありました。
漢文の知識にも乏しく、理解も中途半端な私ですが、精魂込めてやった仕事ではある、と自負しております。以下、ブログの記事を改訂の参考にしていただけたら幸いです。