瞑想知恵袋 その9【道元禅師「眼横鼻直」の真実】

 

 

こんにちは!

今回は道元禅師の有名な言葉「眼横鼻直」について。

「がんのうびちょく」と読みます。史実によれば、中国で仏教を学び道元禅師が帰国後の第一声が「眼横鼻直」だったとのこと。「眼は横に鼻は縦についていることがわかった」という意味です。

これは普通、「当たり前のことを当たり前に行うこと、それが仏教のあり方だ」というように解釈されます。ただ、私は長い間、この言葉と解釈に、納得いかぬものを感じていました。

道元禅師の「眼横鼻直」もなんだか人を食ったような、取り付く島もないものの言いようですし、「当たり前のことを当たり前に行う」という解釈もしっくりきません。

 

ところが最近、日本の覚者(ご本人はそう称されていませんが、私はそう思います)、中野真作さんのyoutubeの動画を拝見しました。そのなかで、中野氏が若き日の覚醒体験の様子を語っておられ、大変興味深かったのです。

そして、中野さんのお話をうかがった後、道元禅師の「眼横鼻直」という言葉が、私なりに腑に落ちたのです。そのことをお話しようと思い立ちました。

まず、動画の内容を抄録します。時間のある方は、動画を直接観てください。

●【すべてがそれだった】宇宙からのギフトは苦しみの果てに 中野真作 youtube動画

抄録

(中野真作さんは)小さい頃から生きづらさを感じていた。大学院生の時に体調を壊したことが始まりだった。ある日、身体の調子が悪くて下宿で寝ていた。はっと気がついたら、からだ全体が光っていた。その状態が終わったとき、部屋が全然違って見えた。「全然違う世界に来た!」という感じ。

翌日、外に出て驚いた。世界がこのように存在していることに! 人、車・・・初めて見た風景のようだった。お腹が空いていたので、いつもの定食屋に入った。そこでまた驚いた。自分が何か言ったら、それを相手が理解した、ということに!

今まで意識していなかった、存在のあらゆる要素が、自分の中心までズキズキ刺さってくるような感じがあって、ちょっと辛かった印象もあった。

下宿に戻り、シャワーを浴びた際、今度は自分の身体に驚いた。「うぁあ、これはなんだ! これで今まで生きて来たんだ」と驚愕の思いで、からだを撫でまわした。

 

以上です。これが中野真作さんの、いわゆる覚醒体験ですが、体験のない私としては、うらやましい気がいたします。もちろん、前段のからだの不調は気の毒なことですが、覚醒体験はなんと素晴らしく世界を変えてしまうことでしょうか(世界が変わるわけではなく、意識が変わったのですが)。

私たちの体験に置き換えると、旅行先で美しい自然を見るような新鮮な驚き、その何十倍、もしかしたら何百倍もの強度で普段の見慣れた風景を見ている・・・という感じです。

 

そこで、道元禅師の「眼横鼻直」に話を戻します。私が中野真作さんの動画を観て、「ああ、何かに似てるなあ」と思ったのが「眼横鼻直」だったのです。

私の解釈では、道元さんも覚醒体験を得た後、人の顔を見た際、「うわぁぁ、眼が横に付いていて、鼻は真っ直ぐに付いているぅぅ!」と新鮮な驚きをもたれたのではないかと、想像します。そのことを「眼横鼻直」と言われたのだと思います。「当たり前のことを当たり前に行う」というような、修身の教科書のようなことを言われたのではない、と私は考えます。

 

この驚嘆すべき新鮮な光景を、脳科学的に表すと、次のような解釈になるのではないか、と考えます。何かの科学書で読んだの知識から、申し上げます。

AIなら目の前の光景をすべて端から端までスキャンして一つの映像を作り出します。しかし、人間はどうやらそのように見てはいないらしいのです。特に見慣れた光景は、そのリアリティを見ないで、観念化されたもの(言葉)を見ているようです。

道路を歩いていても、車、人、コンビニ、信号、街路樹、横断歩道・・・というように、観念のフィルターを通して見ている。そして、普段と違うところだけを見て、脳は画像を修正するらしいんです。「あ、こんなところにピザ屋ができた」というふうに。そのほうが、脳への入力情報が少なくて済むので、負担がかからない。そういうわけです。

確かに風景全体を隈なく見ていたら、時間もかかりそうだし、体力も使いそうです。だから、脳は適当に端折って見ているのでしょう。しかし、その風景はありふれたものにしかなりません。

中野真作さんのように、風景を本当にリアルに見てしまったら、おっしゃっているように「今まで意識していなかった、存在のあらゆる要素が、自分の中心までズキズキ刺さってくるような感じ」になってしまい、新鮮この上ない素晴らしさだが、ちょっと辛い・・・というのもわかるような気がします。

 

中野真作さんは修行も何もしたことがない人で、幼少期より苦しい人生をおくられ、体調不良に苦しまれた末の覚醒体験でした。私の解釈に過ぎませんが、エゴが苦しんだ果てに、エゴ自身が自分の重さ(?)に耐え切れず、ある時点でプツンと呪縛の糸が切れて、一気に覚醒されたように思います。禅で言うところの頓悟が独りでに起こった、という感じです。このような方もおられるのですね。動画を通じてこれから学んでみようと思います。

 

動画からインスパイアされ、道元禅師の「眼横鼻直」についての新解釈を得ました、というお話でした。

では、今回はこの辺で。また、お会いしましょう。

 

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© 瞑想修行の道しるべ , 2024 All Rights Reserved.