瞑想修行はうつ病治療に効果的なのだろうか? その3
読者のみなさん、こんにちは! 62歳の瞑想修行者、藤原と申します。私の拙い記録にお付き合い下さり、ありがとうございます。さて、前回からの続きです。
古本屋を完全廃業したのだが
前回に引き続き、うつ病の話です。2022年内一杯で店舗販売(古本・CD等)を終了し、店舗を貸主に明け渡しました。年明け早々から瞑想三昧の日々が始まりました。インターネット販売の始末がつかず、3月一杯まで発送は続けていました。
その後税務署に赴(おもむ)き、確定申告を済ませた後、廃業届を提出し、古本稼業から完全に足を洗いました。
4月の下旬に「呼吸器科クリニック」の診察を受けました。家人が「夜中に激しく咳き込んでいるいる。医者に診てもらったほうがいい」というので、近くの医院に行ってみたのです。
私としては、「咳き込んでいる」自覚はあまりなかったので、その点はむしろ気になりませんでした。むしろ、コロナ禍で健康診断を全く受けていなかったことと、「日中の眠気」が気になったので受診する気になったのです。
眠気は飯を食べるごとにやって来ました。早朝坐禅会を終えて帰宅し、朝食をとると寝る。起きて昼食をとると、また眠くなり、寝てしまう。これだけ寝たのだから、夜更かししそうなものだけど、夕食後まもなく就寝という状態でした。
最初は古本屋を辞めた疲れが出たのだろう、あるいは春だからか・・・などと吞気に構えていたのですが、いくら寝ても収まらないので、「ひょっとしたら、なにか病気が潜んでいるのかもしれない」と思い、それを確かめる意味でも受診したのです。
血液検査、レントゲン検査をやりましたが、特に異常なし。血圧がちょっと高めという程度。咳き込みは、処方された吸引式の抗炎症剤を2ヶ月間続けたら、ほぼ完治しました。
やっぱり、犯人はおまえだったのか・・・
しばらく様子見をしたものの、眠気は相変わらずでした。そして、ある日、同業者の店に閉店の挨拶に行った際、その話をしたら、彼は即座に「ああ、それはきっとうつだよ。私も薬を飲むほどじゃないんだけど、ときどきあるから」と言いました。
かつての私なら、その言葉に反発を感じたでしょうが、彼の人柄を信頼しているということもあり、そのときは素直に「そうかもしれない」と思いました。
自宅でパソコンを開き、調べてみると「日中の眠気はうつ病に多く見られる症状の一つです」とありました。持っていた抗不安剤のセパゾンを飲み始めると、果たして眠気はピタッとなくなったのです。
「やっぱり、うつだったのね・・・」
少しガッカリはしましたが、眠気のせいで、「臨済録」のブログが中断しており、それが徐々に再開できそうな気分が出てきたことの方が嬉しく、割とすんなりとうつ症状を受け入れることができました。
ここまで眠気、眠気と書いてきましたが、微妙に自信損失気味だったのかもしれません。ネットの情報には「 うつ病による眠気は防衛本能の働きが関係しているといわれています」ともあります。ひょっとしたら、ブログ更新に向き合うことを避けるために眠気を発していた可能性もあります。
なんと、ややこしい、私の心よ!
まだまだ、自覚できていない闇がありそうですね。悔しいです。しかし一方で、これをきっかけに、うつ病の受容に気持ちが傾いたことも事実です。
本当のクリスチャンがうつ病にかかることはありえない?
また、こういう事態をシンクロニシティと呼ぶのでしょうか。たまたまそのとき読んでいた本の中に、うつ病の受容をさらに促す文章に出会いました。精神科医、V・E・フランクルの「宿命を超えて、自己を超えて」(春秋社)のなかの一節でした。フランクルはユダヤ人で、アウシュビッツから生還し、その体験を綴った「夜と霧」の著者として有名です。
内容をかいつまんで説明します。
ある修道女がいて、重い内因性のうつ病にかかっていました。自殺する危険すらありました。ところが、その修道女の指導者は、彼女に対して「本当のクリスチャンがうつ病にかかることはありえない」と言い続けていたそうです。
フランクルは「それは間違いだ」と言います。「本当のクリスチャンであろうと、本物の信仰をもった正真正銘のクリスチャンであろうと、精神病になることはある。宗教心が精神病にならない保証にはならないし、逆に精神病でないことが宗教心がある保証にもならない」と。
私は長い間、「瞑想修行が進めば、うつ病は完治するはずだ。うつ症状を発するということは、瞑想修行が進んでいない証拠だ」と自分に言い聞かせてきました。フランクルに言わせると、この考えは間違いです。
ここで、内因性他、うつ病の種類について説明しておきます。うつ病には、外因性、内因性、心因性の区別が設けられています。以下、ネットからの情報を紹介します。
「外因性は、身体疾患や脳の感染症・外傷などの脳を含めた身体に受けた影響から精神疾患が生じることを指します。 また内因性は、その人の生まれ持った性格や遺伝的な背景が影響して精神疾患が生じることを指します。 そして、心因性はストレスや周囲の環境など心理的要因がきっかけで精神疾患に影響を及ぼします」
私の場合に置き換えると、「自営業を辞めたことにより、心因性の要因はなくなったが、生まれつきの内因性の要因で、うつ症状を発している」ということになります。
考えてみれば、三親等以内に私を含めて4人のうつ病患者がいるのですから、内因性の要因ありと考えるのは、当然と言えば当然です。
修行継続のモチベーション
そうすると、瞑想修行の目標に「うつ病完治」を掲げることは難しくなるわけです。もちろん、瞑想修行に「目標」を設けること自体がNGなのは、重々承知なのですが。
修行を真剣に続けていくことは非常に難しいことです。強烈なモチベーション、あるいは信念をもっていないと、どうしても修行が惰性に落ちてしまいます。私の場合、そのモチベーションが「夢」だったり「うつ病克服」だったりしたわけですが、それが目の前からフッと消えてしまうと、戸惑ってしまいます。
ひょっとしたら、この「戸惑いの時期」も修行には必要なのかもしれませんね。
紙数も重ねましたので、続きは次回といたしましょう。
あなたが、そして、生きとし生けるものが、健やかでありますように。