【無門関】やさしい現代語訳・解説 第25則「三座説法」
こんにちは!
今回は映画「マトリックス」をちょいと引用。
①本則
仰山(ぎょうざん)和尚、夢に弥勒(みろく)の所に往(ゆ)いて、第三座に安ぜられるるを見る。一尊者有り、白槌(びゃくつい)して云く、「今日第三座の説法に当たる」。山乃ち起(た)って白槌して云く、「魔訶衍(まかえん)の法は、四句(しく)を離れ百非(ひゃっぴ)を絶す。諦聴(たいちょう)、諦聴」。
私訳
仰山和尚は夢の中で、弥勒菩薩の所に行って、第三座に座らされた。一人の尊者が搥を打って言った。「今日は第三座の方が説法する日です」。仰山は立って搥を打って言った。「大乗仏教の法は四句を離れ、百句をも絶します。よくよく聴いてくだされや」
②評唱
無門曰く。「且(しばら)く道(い)え、是れ説法するか、説法せざるか。口を開けば即ち失し、口を閉ずれば又喪(そう)す。開かず閉じざるも、十万八千」
私訳
さあ言ってみよ。仰山は法を説いたのか、説かなかったのか。口を開けば失い、口を閉じればまた失う。開かず閉じずも、十万八千里離れているぞ。
③頌
白日青天 夢中説夢 捏怪捏怪 誑謼一衆
私訳
晴天白日、夢の中で夢説いた。怪しい怪しい! 大衆を誑(たぶら)かす。
現場検証及び解説
【本則】
この則は「この現実世界は実は夢なのです」という仏教の主張と、禅仏教お得意の「仏法は言葉では言い表せない」という主張の組み合わせで成り立っています。二つのテーマがひとつの話に盛り込まれているので、不可思議な感じがしますが、作者の意図がわかれば何のこともありません。
「この現実は夢だ」といわれても、ピンとこないかもしれませんが、映画「マトリックス」をご覧になったことがあるでしょうか。主人公ネオが現実だと思っていたのは実は仮想現実で、それに気づいたネオは仮想現実から人々を解放するため、仮想現実を守る黒い服を着たエージェントたちと闘いはじめる、というストーリーです。あの世界観は仏教の世界観です。
今現在でも、ほとんどの人が真実に目覚めることなく、眠ったような状態で生きています。眠ったような状態とはどのような状態でしょうか。ボンヤリしていることではありません。眠ったような状態とは、たとえば、「自分は藤原健志という人間である」そう思い込んでいることが夢なのです。
では、本当の自分(禅仏教では本来の面目といいます)とは、一体何でしょうか。本当の自分とは真我、ワンネスです。個人ではありません。現実(と思っている)世界ではAさん、Bさん、Cさん、がそれぞれ別に生きている、となります。真実は違います。
真実は、たったひとつの生命(しかも永遠)がAさん、Bさん、Cさんを通じて生きている、というものです。そのことをハッキリと実体験して知ったのが覚者です。したがって、覚者は自分を個人だとは思っていません。
映画「マトリックス」が仏教と違うのは、ネオが目覚めた後も個人として活躍することでしょう。しかし、それは映像化する上で必要な方便です。仕方ありません。
則の舞台は夢ですが、これは夜に眠ったときの夢のことではなく、現実がそもそも夢なのですよ、という意味の設定です。そう読まなければ、間違ってしまいます。
余談ですが、ヒンズー教の覚者との対話で、質問者が「現実は夢だ」という教えを踏まえて、次のような質問をしていました。「では、この集会も夢なのですか」
覚者は答えます。
「そうです。夢の中で私たちは話し合っています」
会場に驚きの声が上がります。ヒンズー教も仏教も教えの核心は同じです。表現の仕方が多少違うだけです。
その夢(のような現実)で、仰山和尚は「大乗仏教の法は四句を離れ、百句をも絶す」と説法します。つまり、「禅仏教は言葉では言い表せない」と言葉でいいます。では聴かなくていいのかと思いきや、「よくよく聴いてくだされや」といいます。矛盾していますが、こういう言い方を、当時の中国の知識人は好んだのでしょう。
【評唱】
「口を開けば失い、口を閉じればまた失う」か・・・。禅仏教はこのようなダブルバインド(二重拘束)が大好きですね。私はいささかうんざりして、絶句してしまいます。「言うなら言い尽くせ。言わないならひと言も言うな」というのが私のスタンスです。ですから、このシリーズでも、言い出したからには、トコトン言ってやろう、と思っています。
【頌】
頌とは「人をほめたたえた詩」のことですが、無門先生は素直ではありません。この頌も一見貶(けな)しているようにもとれます。それが、私の癇(かん)に障(さわ)ります。そこで、私の意訳を追記しておきます。
真っ昼間(実は仮想現実)から真実説けば、怪しまれるけど、騙すわけじゃない。
これが素直なところです。しかし、真実は気を付けて言わないと、夢をみている一般大衆は、妙なことを言い出す奴だと、怒り出します。2000年前に磔にされた人がいましたね。彼は素直に説いたのだと思います。
無門先生はひねくれもの、これが私の素直な感想です。今回はこの辺で。
第26則でお会いしましょう。
次回の記事:【無門関】やさしい現代語訳・解説 第26則「二僧巻簾」