【無門関】やさしい現代語訳・解説 第10則「清税孤貧」
こんにちは!
今回は、この世で最も美味しいお酒がテーマです。
①本則
曹山(そうざん)和尚、因(ちな)みに僧問うて云く、「清税孤貧(せいぜいこひん)、乞う、師、賑済(しんさい)したまえ」。山云く、「税闍梨(ぜいじゃり)」。税、応諾(おうだく)す。山云く、「青原白家(せいげんはっけ)の酒、三盞(さんさん)喫し了って猶(な)お道う、未だ唇を沾(うるお)さず」と。
私訳
曹山和尚に清税という僧が言った。「清税は孤であり、貧であります。お願いです、師匠さま、富ましめてください」
曹山和尚は言った。「税先生」
税「はい」
曹山和尚「青原白家の銘酒を三盃も飲んでおいて、まだ飲んでいないと言い張るのかい」
②評唱
無門曰く。「清税の輸機(ゆき)、是れ何の心行ぞ。曹山の具眼(ぐげん)、深く来機を弁ず。是の如くなりと然雖(いえど)も、且らく道え、那裏(なり)か是れ税闍梨の酒を喫する処」。
私訳
清税のへり下りようはどういう魂胆だ。曹山は持ち前の洞察力で、深い言葉を返したものだ。とはいえ、ここでもうひと言いってもらいたい。税先生が酒を飲んだとは、一体何のことを言っているのか。
③頌
貧似范丹 気如項羽 活計雖無 敢與闘富
私訳
貧は范丹(はんたん)に似て(泰然自若)。気は項羽(こうう)の如く(質実剛健)。(曹山和尚と税先生は)活計たたずといえど、共に富を競い合う。
現場検証及び解説
【本則】
この則には、読む人を惑わす引っ掛け単語が仕組まれています。孤と貧です。この語をマイナスにとらえると解釈を間違えます。この語はプラスなのです。
まず、孤はひとりという意味です。これは禅でいうと無です。ヒンズー教でいうと真我。非二元の教えではワンネス(一なるもの)のことをいっているのです。孤独という意味ではありません。「私は無我(仏性)です」という意味です。
貧はそのまま貧しいですが、宗教では貧を悪いこととしていません。キリスト教でも「貧しい者よ、汝は幸いである」といいますし、禅でも貧は肯定的な意味合いをもちます。
欲望が少ないこと、質素であることは人生に気楽さをもたらします。極貧は悲惨ですが、適度な貧しさは人を明るくするものです。逆に物に溢れた社会、物に囲まれた人びとがたいして幸福そうにみえないことからも、このことが真実であることがわかります。
ですから、清税は自分の境遇を憐れんでほしくて、曹山和尚に問いかけたわけではありません。曹山和尚の力量を試すために問いかけたのです。「私は孤であり貧でありますが、お助けくださいませんか」と謎をかけたのです。
ここで、無門関を読むときのポイントを、ひとつ指摘しておきます。無門関では僧がよく問いかけますが、無名の僧は未悟の僧です。固有名詞で呼ばれる僧(この則もそのパターン)は悟っている僧です。この場合は対等に問いかけて境地の探り合いをしています。
曹山和尚はその手には乗りません。清税の境地もわかっているし、謎かけもお見通しです。「お前さん、法の味を知っているくせに、なにをとぼけたこといってるんだい」という感じです。
【評唱】
税先生が酒を飲んだとは、一体何のことを言っているのか。税先生はすでに悟っており、法の味を知った方です。ここで言う酒とは法のことです。法の味を知った方は「ああ、こういうものか」と納得できます。酒の味を知った方が酒を知っているのと同じ理屈です。しかし、酒を飲んだことのない人に酒の味を説明するのは至難の業です。四苦八苦して説明した挙句、「一度一緒に飲みに参りましょう^_^;」ということになります。
悟った境地は「言うに言われぬものだ」「言葉にできないものだ」というのは、この辺りの消息をいっているのでしょう。
ただ、悩ましいのは、「言うに言われぬ」と言われてしまうと、質問しづらくなることです。大学の授業で先生が「言うに言われぬ」を連発したら首になりますが、禅ではむしろミステリアスに見られたりします。
私はなんとか見性体験して、その法の味とやらを表現してやろうと思っていますが、未だ力及ばずで、果たせずにいます。豆腐に似てるんじゃないか・・・などと妄想することはありますが。
【頌】
范丹も項羽も中国歴史上の人物です。范丹は岩波文庫の注に「赤貧洗うが如き生活のなかに泰然自若であった」とあります。項羽は武将です。
二句目と三句目は曹山和尚と清税とのやり取りを讃えているのでしょう。二人共生活は貧しいが、法の豊かさはお互い競うかの如くである、と。
第11則で、またお会いしましょう。