【臨済録】やさしい現代語訳・解説 勘弁9
こんにちは!
今回は、不立文字と即今ゲーム。
①読み下し文
座主(ざす)有り、来たって相看(しょうかん)する次で、師問う、何の経論をか講ず。主云く、某甲荒虚(それがしこうきょ)にして、粗(ほ)ぼ百法論を習う。師云く、一人有り、三乗十二分教を明らめ得、一人有り、三乗十二分教を明らめ得ず。是れ同じか是れ別か。主云く、明らめ得れば即ち同じ、明らめ得ざれば即ち別なり。
楽普(らくふ)侍者為(た)り、師の後(しりえ)に在って立って云く、座主、這裏(しゃり)は是れ什麼(なん)の所在にしてか同じと説き別と説く。師、首(こうべ)を回(めぐ)らして侍者に問う、汝又作麼生(なんじまたそもさん)。侍者便ち喝す。師、座主を送り、回(かえ)り来たって、遂(つい)に侍者に問う、適来(せきらい)是れ汝は老僧を喝したるか。侍者云く、是。師便ち打つ。
②私訳
経典を講ずる僧が来て、臨済に面会した。
臨済は問うた。
「あなたは何の経典を教えているのですか」
僧「たいしたことはしておりません。ざっと大乗百法論を習っただけです」
臨済はさらに問うた。
「一切の教義に通じた者と、一切の教義に通じていない者がいて、それらは同じか、それとも別ですか」
僧「通じていれば同じでしょうが、通じていなければ別でしょう」
そのとき楽普が、侍者として後ろに控えていて、こう言った。
「あなたはここをどこだと思って、同じだの別だのと言うのですか」
臨済は振り向いて言った。
「お前ならどう言う」
侍者は渇した。
臨済は僧を見送り、戻ってきて侍者に問うた。
「さっきの喝はワシへの喝か?」
侍者「はい」
臨済は侍者を打った。
現場検証及び解説
この項は単純のようで、かなり複雑な構造をしています。すべてのポイントをクリアし、滞りなく最後まで抜けることができるでしょうか。何よりも皆さんを納得させることができるでしょうか。チャレンジしてみます。
不立文字がテーマになっています。座主は謙遜していますが、博学の僧です。臨済も若き日に経論を学んだ人でした。しかし、学問としての仏教に限界を感じ、旅に出て禅に出会い、そこで悟りを得ます。臨済にはこの僧が若き日の自分とオーバーラップしたのだと思います。
臨済は「経論を学んだ人と学んでいない人は同じか別か」と問います。経論を大いに学び、そこにプライドをもっている僧です。当然「別です」と答えます。しかし、いくら経論を学んでも、即今(聖なるもの)を実感するような体験がなければ、禅的には法を知ったということにはなりません。
臨済はこの僧に「同じか別か」を答えさせたいわけではなく、暗に「経論を学んで法がわかりましたか?」と問うているのでしょう。僧は臨済の真意に気づきません。自身の知識を手放すこと、無意味化することは容易ではありません。座主にはそれはできませんでした。
臨済の若き日の如く、自分に真摯に向き合うことは、大変難しいものです。人は安易な道を選びたがります。発心には勇気が要ります。
一方この会話を臨済の後ろで聞いていた侍者は、全く別の角度からこの会話を聞いていました。不立文字のテーマを無視し、ただの即今ゲームとして、この会話を聞いていたのです。過去や未来、あれかこれかに思念が動くと、ダメ出しされる即今ゲームです。このゲームは単純ですが、気の抜けないゲームです。
「同じか別か」との臨済の問いに、侍者は「同じも別のあるものか、その手には乗らんぞ、即今だ!」とばかりに喝っして答えたのです。これはある意味では正解です。しかし、臨済が示したかった不立文字のテーマは、どこかにぶっ飛んでしまっています。このことに気づいた臨済は侍者にバツ棒を与えます。
頭でっかちで理論だけの仏教家も困ったもんですが、即今ゲームばかりやりたがる禅野郎も困ったものです。臨済の苦労が目に見えるようです。
今回はこの辺で。近々にお会いしましょう。