【臨済録】やさしい現代語訳・解説 行録9
こんにちは!
今回は、臨済が黄檗を貶し、黄檗が臨済を大いに認めます。
①読み下し文
師、因(ちな)みに半夏(はんげ)に黄檗に上り、和尚の看経(かんきん)するを見て、師云く、我れ将(まさ)に謂(おも)えり是れ箇(こ)の人と、元来是れ暗黒豆(あんこくず)の老和尚なるのみ。住すること数日にして乃ち辞し去る。黄檗云く、汝は夏(げ)を破って来たり、夏を終えずして去るや。師云く、某甲(それがし)暫(しばら)く来たって和尚を礼拝す。黄檗遂に打って趁(お)って去らしむ。師、行くこと数里、此の事(じ)を疑って却回(きゅうい)して夏を終う。
師、一日、黄檗を辞す。檗問う、什麼(いずれ)の処にか去(ゆ)く。師云く、是れ河南にあらずんば、便ち河北に帰せん。黄檗便ち打つ。師、約住(やくじゅう)して一掌(いっしょう)を与う。黄檗大笑して、乃ち侍者を喚(よ)ぶ、百丈先師の禅版机案(ぜんぱんきあん)を将(も)ち来たれと。師云く、侍者、火を将ち来たれ。黄檗云く、是(かく)の如くなりと雖然(いえど)も、汝但(た)だ将ち去れ。已後(いご)天下の人の舌頭を坐却し去らん。
後に潙山、仰山に問う、臨済は他(か)の黄檗に辜負(こふ)すること莫(な)きや。仰山云く、然らず。潙山云く、子(なんじ)又作麼生(そもさん)。仰山云く、恩を知って方(まさ)に解(よ)く恩に報ず。潙山云く、従上(じゅうじょう)の古人に、還(は)た相似たる底(てい)有りや。仰山云く、有り、祇是(ただ)年代深遠(じんおん)なり、和尚に挙似(こじ)することを欲せず。潙山云く、是(かく)の如くなりと雖然(いえど)も、吾も亦た知らんと要(ほっ)す、子但だ挙し看(み)よ。仰山云く、祇だ楞厳会上(りょうごんえじょう)に、阿難(あなん)の仏を讃(さん)して、此の深心(じんしん)を将(も)って塵刹(じんせつ)に奉ぜん、是れを則ち名づけて仏恩を報ずと為す、と云うが如きは、豈(あ)に是れ報恩の事にあらずや。潙山云く、如是如是(にょぜにょぜ)。見(けん)の師と斉(ひと)しきは、師の半徳を減ず。見の師に過ぎて、方に伝授するに堪(た)えたり。
(注)暗黒豆としていますが、岩波文庫では暗の字が「手偏に音」の字となっています。パソコン文字に見当たらないため、暗で代用しました。また、岩波文庫の注によれば、「伝灯録」では唵の字を当てており、意味は「食べ物を口に入れること」。黒豆は書物の文字の喩(たと)え。お経を読む黄檗を、黒豆をモグモグ食べるような老いぼれと、臨済は皮肉を言っているわけです。
②私訳
夏安居(出入禁止の集中的な修行時)の半ばに、臨済は黄檗の寺(黄檗山)に赴(おもむ)いた。
黄檗和尚が経をあげているのを見ると、臨済は言った。
「あなたこそはと思っておりましたが、ただの黒豆喰らい(文字喰らい)の老いぼれ和尚だったんですか」
そして、数日いて暇乞いをすると、黄檗は言った。
「お前は夏安居の掟を破って途中でここに来た。今度は安居が終わらぬうちに去るのか」
臨済「私はちょっと和尚にお目にかかりに来ただけです」
黄檗は棒で打って臨済を追い出した。
臨済を数里ほど下山したが、先程の出来事が気になり、思い直して引き返し、夏安居を過ごし終えた。
臨済はある日、黄檗に暇乞いをした。
黄檗「これからどこへ向かう」
臨済「河南でなければ河北に参ります」
黄檗は棒で打とうとした。臨済はそれを受け止め、平手打ちを食らわせた。
黄檗は大笑いして、侍者を呼び、言った。
「百丈先師の禅版と机を持って来い!」
臨済「侍者! 火を持って来い!」
黄檗「まあ、そういうな。お前が持って行け。これからは、天下の人々を黙らせることになるのだから」
後に潙山が仰山に問うた。
「臨済は黄檗の期待に背いたことにならないか」
仰山「そうではありません」
潙山「では、お前はどう思う」
仰山「臨済は黄檗和尚の恩をよく知ったうえで、その恩に報いたのです」
潙山「過去の例に似たものがあるだろうか」
仰山「ありますが、大昔のことですから、和尚に言うには憚(はばか)られます」
潙山「そういうな。ワシは知りたいのだ。言ってみよ」
仰山「楞難の法会の際、阿難が仏陀を讃嘆して、『このまごころをもって世間に奉仕しよう。それが仏陀の恩に報いることだ』と言ったのは、報恩の例ではないでしょうか」
潙山「それそれ。見識が師と同等では、師の徳を半減することになる。師を超えてこそ、まさに伝授と呼べるのだ」
現場検証及び解説
黄檗大いに臨済を認めるの巻、といって良さそうな項ですが、「え、何で?」という箇所も多く、謎が解けないのは困ったものです。私の力量が足りないのでしょうか。いつものように、疑問点を洗い出していきましょう。
臨済は僧堂のルールを破る無法者です。夏安居という集中的に修行する時期に、ふらりとやってきて黄檗に暴言を吐き、また、出ていこうとしました。黄檗が咎めるのは当然です。しかし、何を思ったのか不明ですが、戻ってきて夏安居を共に修行した、ということです。
その後暇乞いをし、行き先を告げると黄檗が打ってきて、それを受け止め、逆に黄檗に平手打ちを食らわせた、という成り行き。黄檗は身長2メートル超えの巨人です。年齢差はあるとはいえ、それに向かって行っただけでも凄まじい気迫と言わざるを得ません。しかし、いまひとつ、何がどうしたから黄檗は臨済を認めたの?というモヤモヤはあります。
ここからは私のただの感想です。そう思って聞いてください。
覚醒して、怖いもの知らずになった臨済ですが、やや傍若無人な態度が目立っていた。黄檗の小言を最初はうるさく感じた臨済ですが、自分に非があることを認め、引き返して衆僧と共に修行して夏安居を終えた。そこをまず黄檗は認めた。臨済の自己反省力を認めたわけです。
もうひとつは行き先を言ったことでしょう。仰山の予言通り、北に向かう、と。そこで自身の寺を構える、その覚悟を見て、黄檗は大肯定した。黄檗の繰り出したのはおそらくほめ棒ですが、臨済はそれを受けずに、逆に平手打ちを食らわした。その気概をさらに良しとして、黄檗は大笑したのです。
どうでしょうか? 私の感想はこんなところです。
ハッキリ言えるのは次の2点です。
まず、不立文字のテーマ。読経する黄檗に言った言葉。「黒豆喰らい(文字喰らい)の老いぼれ和尚」がそれです。確かに年寄りがお経を読んでいると、口をモグモグさせて豆を食べているように見えますね。この強烈な皮肉はその仕草を言っているのではなく、「禅僧のくせに経なんぞあげやがって」という批判なのです。ちなみに臨済は、若い頃、広く経論を学んだ人でした。すっかり別人です。この「臨済録」を編んだ人は不立文字という点で、臨済は黄檗を勝っていたと主張したいのかもしれません。
もうひとつは「侍者! 火を持って来い!」の臨済の言葉です。せっかく黄檗が、自分の後継者として認め、その印(しるし)に師匠の百丈和尚から受け継いだ品を、臨済に渡そうとしているのに、それを燃やすというのですから、恩知らずもはなはだしい男です。
しかし、臨済の主張もわかります。法とは本来の面目です。いわば誰にでもあるものです。覚者と凡夫は同等です。覚者はソレをソレとして知り会得しています。凡夫はソレがあるにもかかわらず、ソレに気づかず煩悩に引きずり回されています。その違いだけです。
法は誰にでもあるものです。したがって継ぐとか継がんとか、そういうレベルのものではありません。ましてやその印を、物で受け継がせようとさせるとは。臨済にしたら噴飯ものだったのでしょう。
黄檗の「天下の人々を黙らせることになる」という言葉も不立文字のことを言っています。
潙山と仰山の会話は読めばわかるもので、解説の必要はないでしょう。仰山が過去の話をしたがらないのは、即今を外れるからだと思われます。潙山がせがみ、仰山がしぶしぶ答える。いつものパターンです。
「師を超えてこそ、まさに伝授と呼べる」とは、禅の世界ではよく言われること。ここでも、編者は臨済は黄檗を凌ぐと称えたいのでしょう。
今回はこの辺で。近々にお会いしましょう。