瞑想知恵袋 その28【「自由への道」(アジャシャンティ著  ナチュラルスピリット)精読】⑪

 

 

こんにちは!

さっそく、五つの基盤の④を検討していきましょう。青がアジャシャンティ、黒は私。

 

④完全に誠実でいることを実践する

原文はPractice  Absolute  Sincerityです。直訳すると、絶対的な誠実さを実践せよ、でしょうか。

アジャシャンティは、「完全に」とか「絶対に」とか、究極の純粋さを求める傾向がありますね。ちょっと息苦しく感じられることもあります。しかし、不可能な、いわゆるミッションインポッシブル(大好きな映画ですが)を私たちに課そうとしているわけではありません。続いて、次のように言います。

 

誠実でいるとは、完璧でいるということではありません。事実、完璧であろうと努力すること自体がまさに誠実ではないのです。

確かに完璧にやろうとすると、人間結構しんどいことになります。好きな女の子の前で、普段のあなたの実力が発揮できないのは、おそらく無理しているからです。リラックスしていた方が相手に良い印象を与えることが多いようです。自分の緊張は相手にも伝わってしまい、相手をも緊張させてしまうのです。

しかし、緊張しまいとすればするほど緊張してしまう、というパラドックスがあるのも事実です。私も若い頃から人前で緊張してしまうタイプで、それでずいぶん苦労してきました。今でも緊張するときは緊張してしまいますが、以前よりはましになってきました。年のせいかもしれませんね。

瞑想修行ももちろん役に立ちました。私の結論は「相手に過度に気に入られようとするから緊張するのだ」というものです。「嫌われてもかまうもんか、俺は俺のベストをつくすだけだ」と思うと、案外緊張しなくなってきました。

大好きなV・E・フランクルの言葉があります。ちょっと内容は違うかもしれませんが、確かこんなふうに言っていました。

「人前で緊張しそうになったら、緊張しなさい、そして、世界中に『これこそ緊張の極致だというもの』を彼らに見せしめなさい!」というものです。なんだか、すごくおかしくて、愉快な気持ちになり、逆に緊張できないような気分になりました。あなたはどう感じますか?

もう一つ、緊張に関して、好きな言葉は、雀鬼こと桜井章一会長の「フルチン感覚でいけ」です。念のため説明をすると、「フルチン」とは「男の性器を丸出しにすること」です。説明の方がいやらしく感じますね(笑)。会長がこの言葉で言わんとしていることは、もちろん変態的な露出狂のことを言っているのではありません。

端的に言えば、「カッコつけんな」ということです。ありのままの自分をなんのてらいもなく、素直な気持ちで表現しなさい、ということです。

街角で他人が困っているのを見て、何かしてあげたい気持ちが微かに芽生えますが、恥ずかしくてできないで素通りしてしまう、そんな経験はありませんか? そんなときに少し勇気を出して手を差し伸べる、やってみればわかります。それが「フルチン感覚」です。

話を戻しましょう。

 

なぜなら、それは自分を今この瞬間のありのままに見ることを避けようとしている様だからです。欠点や幻想すべてを含めて、自分をありのままに見ることができ、喜んでそうするには、心から誠実でいて勇気を持つ必要があります。絶えず自分自身から隠れようとしているならば、自己の幻想から決して目覚めることはできません。

誠実でいるには、自己批判を手放さなければなりません。批判的だと誠実でいることができなくなり、ときに誠実でいるふりさえします。

エゴは自分を取り繕おうとします。自身が変えられることに抵抗する。それがエゴの正常な働きです。しかし、それに従ってばかりいると、エゴの殻を破ることはできません。

ちょっと立ち止まりましょう。アジャシャンティはエゴの殻を破れとは言っていませんね。「自分のありのままを見る」このことが誠実の意味のようです。誠実には勇気がいります。なぜなら、エゴは自分のイメージを守ろうとするため、「ありのままに見る」ことを拒む傾向があるからです。なんとか自己正当化して、自分のイメージを保とうとする。そのためには「自分を騙す」ことすらします。それが一般に、自己欺瞞という難しい言葉で言われています。

アジャシャンティの最後に置かれた言葉「自己批判を手放す」というやつ、これが難しいのです(少なくとも私にはそう感じられます)。「ありのままの自分を見る」と、どうしても欠点が目に付くことが多い。そうすると、下手な自己反省のリフレインが始まります。私はそうです。

自分の長所をひけらかさず傲慢にならない、ことが難しいのと同じく、自分の欠点を認め愛することは難しいことです。傲慢、自己批判の根には当然、思考があり、思考に続く感情が伴います。そうすると、ナチュラルな見方ができなくなる、とアジャシャンティは言っているように、私は感じました。

自分を甘やかすでもなく、厳しすぎもせず・・・というような暖かい眼差しで、自分の霊的な成長を見守っていきたいものです。

 

つづく。

追伸

新しい職場に慣れるのに、想像以上に労力・気力を使い、ブログ更新がしばらくできませんでした。これがありのままの私です(笑)。30年ぶりの社会復帰という様相を呈し、開き直って「俺は社会人一年生だ!」と思いを定め、日々悪戦苦闘しながら、瞑想もちょこっとやりながら、実践修行(仕事)はハードワークですが、それなりに一生懸命にやっているつもりです。今度はいつ更新できるかわかりませんが、気長にやっていこうと思います。

よろしくお願いします。

 

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