瞑想知恵袋 その26【「自由への道」(アジャシャンティ著  ナチュラルスピリット)精読】⑨

 

 

こんにちは!

さっそく、始めましょう。今日は五つの基盤の②です。青がアジャシャンティ、黒が私です。

 

②無条件に貫く

これもアジャシャンティのサイトで原文を当たってみました。Unconditional Follow-Through アンコンディショナルは無条件。フォロースルーは「規則などに最後まで従う」という意味。野球では、バットを振り切る動作にも使われるようです。

 

志が明確になると、次はそれを貫くことが必要です。完全に貫くということは、何を進んでやるのか、何を手放すのかということにつながります。

①の志を明確にしたら、それを生活の中でやり抜いてください、ということでしょうか。志を禅の道場だけでなく、それを生活にまで及ぼすこと、継続すること、のようです。

そうすれば、自然に仏教は生活の中に生かされていきますし、そこでの感触が修行にフィードバックされていきます。道場と生活の場を分けてはいけない、とアジャシャンティは言っているようにも思えます。

「何を進んでやるのか」「何を手放すのか」は結構ハードなミッションになるかもしれません。なにしろ、人間は「好きなものは手放したくない」し、「嫌なことはしたくない」からです。しかし、しばしば仏教では志のためなら、「好きなものでも手放さなくてはいけない」し「嫌なことでもやらなくてはならない」のです。

それはアルコール中毒者が酒をやめるのに似て、大変困難なものです。そう思うのは私だけかなあ。

 

完全に正直になって、あなたがリアリティ(引用者注・真我・仏性=本来の面目)を実感するのを邪魔するあらゆる幻想を見つけ出して手放す意欲を持ち、百パーセントの力を注いで、誠実に今の瞬間に最大限に従事することです。

禅的に言えば、即今ですね。即今で「見る」のは案外たやすいように思えますが、「手放す」のが難しい。「誠実に今の瞬間に最大限に従事する」ことによって、それが可能になるのでしょうか。

うまく自身の煩悩を手放せていない私ですが、仏教を修するにあたって、「正直」「誠実」「素直」が大切であることは、実感としてわかります。藤田一照和尚は「自分をごまかさないこと」とおっしゃいました。これは確実に大事な要素であると言えます。

また、しばしば私たちは自分(エゴ)の利益のために、無意識のうちに「自分をごまかして」正当化しています。それが意識化されたときは、大変に痛い思いをすることになりますが、それは仏教修行が進んだ証拠で、むしろ喜ぶべきことです。課題が見つかったわけですからね。

しかし、自分の不快な面を見るわけですから、愉快ではありません。「もう少し修行が進んでいると思っていたんだが・・・」と痛恨の思いが湧いてきますが、ここは「そんなもんだ」とあっさり諦めて、淡々と修行を続けるべきなのでしょう。焦ったってどうにもなりません。業は深いものです。

 

あなたが本当は何を愛しているかが最も忠実に現れるのは、あなたが感じたり、考えたり、話していることの中ではなく、あなたの行動の中です。

それはそうかもしれません。言葉や観念レベルのことはあてにならないことは、少し社会に出てみればわかることです。革新政党を支持する経営者が、社員から平気で搾取することだってありえます。そもそも「主張と行動は一致してなきゃならん」という意識が日本人には希薄です。

その点アメリカ人は厳しそうです。上記の文にもそれが表れています。

私も「わかるの3段階」と銘打って、①言葉の意味はわかる ②言葉に納得できる ③言葉通りに実行できる、としています。①から③に向かって深く理解できている、ということです。

「頭ではわかっているつもりが、行動のレベルではわかっていなかった」というのは、人間にはよくあることです。「あの人は、言うこととすることが一致しないなあ」ということも多いです。それに関して、いつも思い出すのは、新約聖書にある「ペテロの否認」です。最後の晩餐の際にペテロは「私は絶対にあなた(イエス)を裏切りません」と誓いますが、イエスが捉えられると怖くなり、土壇場でイエスを否認します。

これを読むたびに人間の弱さ、自分の弱さに思いが及びます。同時に真実を確信し、少しでも強くなりたいものだ、という気がいたします。

 

志が無条件に貫く姿勢と愛に団結したとき、宇宙でとても大きな力となります。そのとき初めて、志は統一されて一点方向に集中し、愚かな行為や運命、状況を乗り越えられるのです。

正直言って、ここのところはアジャシャンティが何を言いたいのか、よくわかりません。志が重要なポイントであることは理解できます。前後しますが、アジャシャンティは志のことを次のようにも言っています。

 

志はマインドの問題ではなく、むしろハートの問題です。

本書ではマインドは思考の意味で使われていますが、ハートはなんでしょうか。魂? もう少し柔らかく「気持ちのありよう」気概・・・いずれにしても、心の深いところにある真心のようなものでしょうか。誠という文字も思い出します。結論は出ません。引き続き考えていきたいと思います。

 

つづく。

 

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© 瞑想修行の道しるべ , 2024 All Rights Reserved.