瞑想知恵袋 その24【「自由への道」(アジャシャンティ著  ナチュラルスピリット)精読】⑦

 

 

こんにちは!

前回少しお話した、「修行の目安」についてちょっとだけ。

「貪瞋痴」が目安になると言いました。そのなかでも、一番わかりやすいのが瞋(怒り)だと、私は思います。スマナサーラ長老が、法話集の一番最初に「怒らないこと」(サンガ新書)をもってきたのもわかる気がいたします。怒りは私たちにとって、非常に身近な感情です。

家族、上司、恋人からのひと言にカチン!ときて、それが怒りとなって、ぼわぁっと燃え上がるのが普通の人です。そうではなく、相手の言葉が何にもぶつがらず、身体をスッと通り抜けるようになったら、あなたのエゴは薄くなってきているとみて、いいのではないでしょうか。

そうでなくとも、怒りが多少暴走したとしても、それを観察できていればOKです。というのも、怒りは本来「あなたの怒り」ではないからです。ただの自然発生的な怒りにすぎません。本来のあなたは観察している側にあります。奇妙な言い方に聞こえるかもしれませんが、それが事実です。

怒りが増長するのは、それを「つかむ」からです。執着心です。つかまず、巻き込まれないことです。怒りは観察可能な感情にすぎません。なぜなら、あなたはそれを観察できるからです。観察できるものは、イコールあなたではありません。そう理解してください。そして、怒りからできるだけ距離をおき、観察を続けてください。観察を怠ると、怒りは自然に大きくなるかもしれません。

「観察を続ける」「距離をおく」というのがコツです。怒りはその後、余震のように何度もあなたの元を訪れるかもしれませんが、この2つを心がけていれば大丈夫、怒りはやがておさまってしまい、思い出すことすらなくなるでしょう。

もし、あなたがその事件にこだわっていたら、その後何度か思い出すことになるでしょう。そのときもどうか「思い出す」だけで、「思い出し怒り」しないようにお願いします。怒ることで、あなたの心は汚れます。智慧の力は衰えます。怒る対象は無傷(そうじゃないですか?)、あなたの心は大変な被害をこうむっています。そこが理解できるまで、怒りを観察してください。

喜劇王チャップリンは「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」と言ったとか。怒りも距離(または時間)をおくごとに、喜劇に見えてきます。試してみてください。

それが理解できれば、人生の宝になりますし、理解できなければ、怒りが犯罪につながる可能性もあります。怒りはパワーも発生させますし、ストレス解消は怒りを何かにぶつけて発散する行為です。現代社会では「良い」とされていることなので、むしろ奨励されていますが、根本的な解決にはなりません。

そのことを瞑想しつつ、綿密に、そして深く考えてほしいのです。

 

さて、本題。アジャシャンティの文章が青、私の文章が黒です。

①志を明確にする。

②無条件に貫く。

③自分の権限を決して放棄しない。

④完全に誠実であることを実践する。

⑤自分の人生の面倒をしっかりみる。

本質的にこの五つの基盤は、目覚めた後も目覚める前と同様に、もしかするとそれ以上に適用できる教えの絶対不可欠な要素です。

これだけでは、仏教の教えとしては、少々奇妙に響きます。もちろん、本文にそれぞれの解説が付いているのですが、それを読んでも、実は私もはっきりとはわからないのです。こうして書き写して、みなさんにお知らせしていくうちに、少しでも何かがわかってきたら儲けものという魂胆なのです(笑)。

それぞれの項目を、検討するのは次回以降にして、もう少しアジャシャンティの言うことに、耳を傾けてみましょう。

 

五つの基盤は、この教えが展開していく背景になります。教えからこの背景を取り去るならば、この教えがエゴ中心に解釈されるのを阻止するためのエゴに立ち向かう防衛策も取り除くことになります。エゴによってスピリチュアルな教えを誤って解釈することは常に大きな危険となります。なぜなら、エゴが執着しているものの見方は、それがどのようなものでも正当化する傾向があるからです。

仏教を学ぶなら、知識は一旦脇において、純粋な好奇心だけをもとにやっていった方が、有利な気がします。書物を読み過ぎて、素直に物事がとらえられず、批判精神が先走ってしまうと、「仏教の大筋」をとらえそこなうようです。大筋をとらえそこなうと、シャツの第一ボタンを間違ってはめてしまうようなもので、教えの理解全体が微妙に違ったものになります。そうすると、フォーマットが歪んでいるので、その後何を教えても誤解してしまう、という恐ろしい事態に陥ります。

しかも、それは珍しいケースでなはく、ままあることなのです。それほどエゴというものは、初心者にはわかりにくく、わかった後も巧妙に立ち回り、しぶといものです。アジャシャンティは本書の別の場所で、雑草取りを例に出して、その困難さを述べています。完全にその根を絶ち切らないと、エゴは生き延びて思わぬところから顔を覗かせるのです。

昔トイレマジックリンか何かのコマーシャルで「臭い匂いは元から絶たなきゃダメ!」というのがありましたが、エゴもそうなのです。

ですからまず、エゴを起点にして教えを聞かないように、とアジャシャンティは注意をうながしているのです。別の言葉で言えば、「素直に聞く」「批判的に聞かない」「批判する前に教えを実践して試してみる」「机上の空論はしない」「理解したことは行動できるはず」「行動できないことは理解できていない証拠」・・・とまあ、だんだん厳しいことになってしまい、みなさんもうんざりされているかもしれません。

今回はこの辺で切り上げて、次回より①から順に検討していこうと思います。ここまで我慢して読んでくれた方に感謝申し上げます。

 

つづく。

 

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