【臨済録】やさしい現代語訳・解説 示衆6

2023/09/08
 

 

こんにちは!

今回は、師家の指導法4パターンを臨済先生が語ります。

 

①読み下し文

衆に示して云く、我れ有る時は先照後用(せんしょうごゆう)。有る時は先用後照(せんゆうごしょう)。有る時は照用同時。有る時は照用不同時。

先照後用は人の在る有り。先用後照は法の在る有り。照用同時は耕夫の牛を駆(か)り、飢人の食を奪い、骨を敲(たた)き髄(ずい)を取り、痛く鍼錐(しんすい)を下す。照用不同時は問有り答有り、賓を立し主を立し、合水和泥(がっすいわでい)、応機接物(おうきせつもの)す。若し是れ過量の人ならば、未だ挙(こ)せざる已前(いぜん)に向(お)いて、撩起(りょうき)して便ち行かん。猶お些子(しゃし)に較(あた)れり。

 

②私訳

臨済禅師は言われた。

ワシはあるときは、先に照らし(相手の力量に気づき)、後で用いる(相手にはたらきかける)。あるときは、先に用い、後で照らす。あるときは、照らしと用いを同時にやる。あるときは、照らしを用いを交互に使う。

先に照らし、後で用いる場合は、人(相手・現象)に合わせている。先に用い、後で照らす場合は、法(即今)に合わせているのだ。

照らしと用いが同時の場合は、こんなふうに修行者を扱う。

耕夫の牛を追っ払い、飢人の食い物を奪う。骨を砕き骨髄を絞り出し、ツボに鍼をブスリと突き刺す。

照らしと用いが交互の場合は、こんなふうに修行者を扱う。

まず、問わせたり、それに答えたりする。客としてもてなし、主人として応じる。水をかぶり泥にまみれ、相手に合わせて伴走するのだ。

もし、力量がある者がこんな扱いをされたら、何かされる前に「馬鹿にするな」と踵を返すだろうさ。まあ、こんな奴も、もう一歩のところなんだが。

 

現場検証及び解説

 

臨済先生、四つに分けるのがお好きなようです。四料揀(しりょうけん)のときもそうでしたが、ここでも言葉の意味がきちんと定義されていません。四料揀のときは、人と境の意味が不明でした。なので、説明を試みる私としては、「おそらくこうだろう」というお話をしました。今回もそうなります。ご了解ください。

今回は、照と用の意味が不明です。文脈から想像し解釈するしか方法がありません。話の内容から察するに、どうやら修行者に対する指導法の4パターンを解説しているようです。修行者の発達段階に合わせて指導を駆使していたのでしょう。順に見ていきましょう。

1⃣先照後用

「照らす」というのは、まず、相手をパッと見て力量を測るという意味でとらえました。これは思考とは別ものです。「気づき」や「観照」と呼ばれている認識の仕方です。分析的な思考による観察と違い、「ただ認識の光を照らす」ということです。気づきは思考より上位にあります。気づきは思考に気づけますが、思考は気づきを思考することはできません。

「用いる」というのは、修行者に対してはたらきかけるという意味でとらえました。師家の修行者にたいする指導です。

ですから、この先照後用の場合は、修行者の力量を見、それに効果的にはたらきかけるという順番です。繰り返しになりますが、ここに思考はありません。自然にそうなる、ということです。それを事後的に解説すると、こうなると臨済先生は言っています。これを真似ることは不可能です。真似たら違うものになってしまいます。あくまでも、臨済先生の専売特許のような指導法だと思ってください。

 

2⃣先用後照

これは1⃣の逆です。修行者を前にし、まず直感的にはたらきかけ(用)、その反応を見る(照)ということです。何度も言いますが、これは覚者の技です。未悟の者が真似ることは無効です。未悟は「直感的にはたらきかける」ということができません。未悟のはたらきかけは、思念が関与したものです。「直感的にはたらきかける」というのは「思念なしにはたらきかける」ことです。これは困難なことです。

 

3⃣照用同時

同時とありますが、厳密に言うと同時ではなく、間髪入れずに「見てはたらく、はたらいて見る・・・」とやることのように思います。あるいは「見ながらはたらき、はたらくながら見る・・・」

私は未悟ですし、はっきりとはわかりません。想像です。

「耕夫の牛を追っ払い、飢人の食い物を奪う。骨を砕き骨髄を絞り出し、ツボに鍼をブスリと突き刺す」

レトリックを駆使して、臨済先生はその状況を語ります。牛、食物、骨髄は思考の隠喩でしょう。「鍼を刺す」というのは思考の出路(しゅつろ)を指し示し確認させる、というようなことでしょうか。

いずれにしろ、思考を奪って、思考の出処(でどころ)を確認させる。以後、思考の自由を許さない、常に気づきを保つ人に仕立て上げる、そのような師家の技のように感じました。

いいですね。このような治療を是非とも受けてみたいものです。

 

4⃣照用不同時

言葉上はの照用同時の逆ですが、照用同時が間髪入れずに照と用を使うのに比べ、照用をもう少しモタモタとやる、というふうに読みました。また、照用同時は明らかに師家ペースの指導ですが、照用不同時は修行者のレベルに師家がわざわざ降りて行って、そのレベルに合わせて法を説いています。まどろっこしく、効果も薄そうですが、相手によってはこういうやり方をやる、と臨済先生は言っています。

力量のある者はこういうやり方は好まないようです。もっと激しく指導されたいんでしょうか。Mですね!

 

今回はこの辺で。また、お会いしましょう。

 

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