【臨済録】やさしい現代語訳・解説 示衆5

2023/09/08
 

 

こんにちは!

今回は、真我が個我を生み、個我は真我を恋しがる。

 

①読み下し文

大徳、時光を惜しむべし。祇(た)だ傍家波波地(ぼうけははじ)に、禅を学し道を学し、名を認め句を認め、仏を求め祖を求め、善知識を求めて意度(いたく)せんと擬(ほっ)す。

錯(あや)まること莫れ、道流。你祇だ一箇の父母有り、更に何物をか求めん。你自ら返照し看よ。古人云く、演若達多頭(えんにゃだったこうべ)を失却す、求心歇(や)む処即ち無事、と。

大徳、且(しばら)く平常ならんことを要(ほっ)す、模様(もよう)を作(な)すこと莫れ。一般の好悪を識らざる禿奴(とくぬ)有って、便即(すなわ)ち神を見鬼を見、東を指し西を画し、晴を好み雨を好む。是(かく)の如きの流(たぐい)、尽(ことごと)く須(すべか)らく債(さい)を抵(いた)して、閻老(えんろう)の前に向って熱鉄丸を呑むこと日有るべし。好人家(こうにんけ)の男女、這(こ)の一般の野狐(やこ)の精魅(せいみ)の所著(しょじゃく)を被(こうむ)って、便即ち捏怪(ねっかい)す。瞎屢生(かつるせい)、飯銭(はんせん)を索(もと)めらるること日有り。

 

②私訳

諸君、時間を惜しめ!

君たちは脇道に逸れウロウロしている。禅を学び仏道を学び、文字を読み言葉を覚え、仏を求め祖師を追い、善知識を求めては憶測をたくましくする。

間違ってはならんぞ!

諸君には、一組の父母(一なるもの=ワンネス)があるではないか。さらに何を求めているのだ。自分自身を振り返って看て取りなさい。

古い話にある。「演若達多が頭を失ったと思って探し回ったが、求める気持ちが収まったら大人しくなった」と。

諸君、当たり前にやることだ。変わったことをするな。

世の中にはものの善し悪しも知らぬ悪僧がいる。そのような輩は「神を見た」だの「悪魔を見た」だの、東を指し西を指し、「いい天気だ」「いい雨だ」とぬかす。このようであれば、借金をつくるようなもの。閻魔大王の前で、熱鉄丸を飲むはめになろう。

良家の子息(一なるものの子)であるはずの諸君が、この手の野狐に化かされて、怪しげな者に成り下がる。モノが見えぬ愚か者め! そんなことでは、借りを返させられる日が来るぞ。

 

現場検証及び解説

 

全文の印象から述べていくと、「文字に頼るな」「偽グル(誤った教師)に気をつけろ」という注意が、法話の中心になっているように感じられます。そこから逆算するに、当時の状況が察せられます。学僧は学問的に禅仏教を理解しようとする傾向が大きかったのでしょう。また、学問的なアプローチで仏教を語る教師も多かった。

中国は何といっても漢字を発明した国です。サンスクリット語などからの翻訳も盛んでした。現代ほどではないにせよ、巷に書物もあって、そこから学ぼうとする人、それを教えようとする人がたくさんいました。

私たちもそうですが、何か学ぼうとするとき、手っ取り早いのは書物に依ることです。丁稚奉公よろしく、生活を共にしながら「コツを盗む」などという面倒なことはしたくありません。今も昔も人は何かをやろうとするとき、コストパフォーマンス(費用対効果)を考えるものです。読書はコスパが良さげに見えるのです。

しかし、禅仏教を学ぶにはその方法は適しません。何度も言うように、言葉が届かない地点を禅仏教は目指すからです。ただ臨済先生は、やみくもに文字から学ぶことを否定されているのでもありません。もう少し説明的に優しく言い換えれば「文字に依って禅仏教を学ぼうとすると失敗するよ。日々の規矩(きく・禅道場における規則や作法)を当たり前にこなしていきなさい。即今を守り、余計なことを考えずに過ごしなさい」と言っています。

「当たり前にやることだ。変わったことをするな」というのはそういうことです。

演若達多の例で言われている、「外に向かって求めるな」というのは、文字を追うなということでもありますが、修行の効果を期待するな、ということです。ここはわかりにくいところですが、「効果を求めて修行すると逆効果だよ」ということ。効果への期待とか意図が即今を損ね、かえってダメだということです。また、「頭を探す」というのは、外にではなく自らの中に法はあるぞ、と言っています。

以下偽グルに対する罵倒の数々は、それだけそのような悪僧が、当時跋扈(ばっこ)しており、学僧が騙されていたということでしょう。

この段では、「一組の父母」や「良家の子息」といった隠喩で、真我と個我の関係を表しています。実際の親子関係ではありませんので、ご注意ください。

真我が個我(エゴ)を生み出します。これが人間の基本設定(デフォルト)です。しかし、いずれ個我は自分に苦しみ、真我を恋しがるようになります。修行を通じて、個我が真我に溶け込むような状態になったとき、それを覚醒とか悟りと呼ぶのでしょう。

そうなりたいものです。頑張りましょう(笑)。

 

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