【臨済録】やさしい現代語訳・解説 勘弁2
こんにちは!
今回は、変人普化(ふけ)が初登場します。
①読み下し文
師、僧に問う、什麼(いずれ)の処よりか来たる。僧便ち喝す。師便ち揖(いつ)して坐す。僧擬議(ぎぎ)す。師便ち打つ。
師、僧の来たるを見て、便ち払子(ほっす)を竪起(じゅき)す。僧礼拝す。師便ち打つ。
又、僧の来たるを見て、亦た払子を竪起す。僧顧(かえり)みず。師亦た打つ。
(注)一行目「揖して坐す」は岩波文庫では「揖して坐せしむ」となっておりますが、自己判断で「坐す」としました。原文は「師便揖坐」となっています。
②私訳
(1) 臨済がある僧に問うた。「どこから来たのか」僧は喝した。臨済は会釈して坐った。僧は思念を起こした。臨済は打った(バツ棒)。
(2) 臨済は僧がやってくるのを見て、払子を立てた(即今を示して見せた)僧は礼拝した。臨済は打った(ほめ棒)。
(3) またあるとき臨済は、僧がやってくるのを見て、払子を立てた。僧は見向きもしなかった。臨済はその僧を打った(バツ棒)。
現場検証及び解説
臨済と僧の問答が、三パターン並べられています。順に説明していきましょう。
(1) 「どこから来たのか」という臨済の問いは、肉体がどこから移動してきたのか、を問うているのではありません。意識はどこから来たのか、と臨済は問うています。答えは即今です。即今が存在の母です。
僧は喝で即今を示します。説明ではない端的な示し方です。臨済は軽く会釈します。礼拝は腰を90度に屈める礼。揖は15度で会釈のような小揖(しょうゆう)と、45度程度の深揖(しんゆう)がある、とのこと。禅では認めた場合は礼拝します。臨済は揖の会釈をしたのは、この僧の喝を認めたわけではなさそうです。
会釈の後、坐ったのは、「それで?」と促したのかもしれません。僧は擬議します。擬議は「思念すること」です。思念を起こしたら、この即今ゲームではアウトです。臨済のバツ棒を食らいます。
(2) 払子とは、動物の毛や麻などを束ねて柄をつけた仏具です。短めのハタキのようなものと思ってください。この払子を臨済は垂直に持ちます。これは即今を示したのです。僧はその暗示を正しく受け止め、礼拝します。それを良しとして、臨済は僧を打ちます。ほめ棒です。
(3) 上記の僧に対して、この僧は臨済の暗示がわからなかった様子です。そのため、臨済はバツ棒を与えます。
短かったので、もうひとついきましょう。
①読み下し文
師、普化(ふけ)を見て、乃ち云く、我れ南方に在って書を馳(は)せて潙山(いさん)に到りし時、你(なんじ)が先に此(ここ)に在って住し、我が来たるを待つことを知る。我れ来たるに及んで、汝が佐賛(ささん)を得たり。我れ今黄檗の宗旨を建立せんと欲す。汝切に須(すべか)らく我が為に成褫(じょうち)すべし。普化珍重して下り去る。
克符(こくふ)後(おく)れて至る。師亦た是(かく)の如く道(い)う。符亦た珍重して下り去る。
三日の後、普化却って上って問訊(もんじん)して云く、和尚は前日甚麼(なん)とか道いし。師、棒を拈(ねん)じて便ち打って下らしむ。
又三日にして、克符亦た上って問訊し、乃ち問う、和尚は前日普化を打って什麼(なに)をか作(な)す。師亦た棒を拈じて下らしむ。
②私訳
臨済は始めて普化に会ったときに言われた。
「私が南方にいた頃、潙山和尚に書状を持って行ったところ、あなたが先にこの場所に住んで、私が来るのを待っていると(仰山に)言われた。そして今やってきて、あなたの手助けが得られた。私はここで黄檗の宗旨を建立しようと思う。どうか一肌脱いでもらいたい」
普化は「では、さようなら」と言って下がっていった。
そのあと克符がやってきた。臨済はまた同じように協力を求めた。克符もまた「では、さようなら」と言って下がっていった。
三日後、普化が臨済のところに挨拶にきて言った。「先日和尚はなんと言われましたか」
臨済は棒を取り上げるなり、普化を打って追い出した。
さらに三日後、克符が臨済のところに挨拶にきて言った。「和尚は先日、普化を打たれたそうですが、どうしてそのような馬鹿げたことをなさったのですか」
臨済は棒を取って、克符を打ち追い出した。
現場検証及び解説
臨済が河北の地に布教の拠点をもち、赴任早々に、現場の部下に協力を求めるという構図です。克符はともかく、普化はかなり変わった僧だったらしく、さしもの臨済も手を焼いたようです。しかし、普化はただの変人だったわけではありません。一流の禅僧でもありました。そのポイントをあぶり出し、味わいたいと思います。
この項はその前哨戦ともいうべきものなのでしょう。臨済はまだ普化のことをよく知らず、とぼけた返答に腹を立て、棒で追い払った。そのことを克符に「普化のことをわかっておられませんぞ」という具合に咎められ、また腹を立てた。そのような話に思えます。
また、禅僧はその場その場でしっかり対応し、過去のことはきれいさっぱり忘れてしまうようです。普化は臨済を愚弄したわけではなく、真剣に「何か言われたように思いますが、もう一度言ってもらえませんか」と頼んだのかもしれません。禅僧は忘却力が半端なくあるのです。
「成褫(じょうち)すべし」の「褫」は脱ぐという意味です。「一肌脱いでもらいたい」「力になってもらいたい」という、臨済の熱烈な協力要請のように感じられます。それに比して、いかにも現地の連中は、物足りない反応しかしなかった、少なくとも臨済にはそう感じられた、そのような話にも読めます。
今回はこの辺で。今後の普化の言動にご注目ください。