【臨済録】やさしい現代語訳・解説 行録8

2023/09/09
 

 

こんにちは!

今回は、潙山、仰山が本文に登場します。

 

①読み下し文

師、黄檗の為に書を馳(は)せて潙山(いさん)に去(ゆ)く。時に、仰山(ぎょうざん)知客(しか)と作(な)る。書を接得(せっとく)して便ち問う、這箇(これ)は是れ黄檗底(てい)、那箇(いずれ)か是れ専使底(せんしてい)。師便ち掌(しょう)す。仰山約住(やくじゅう)して、老兄(ろうひん)是般(これつら)の事(じ)を知らば便ち休(きゅう)す、と云って同(とも)に去(ゆ)いて潙山に見(まみ)ゆ。

潙山便ち問う、黄檗師兄(すひん)は多少(いくばく)の衆ぞ。師云く、七百衆。潙山云く、什麼人(なんびと)か導首(どうしゅ)たる。師云く、適来(せきらい)已(すで)に書を達し了れり。師却って潙山に問う、和尚の此間(すかん)は多少の衆ぞ。潙山云く、一千五百衆。師云く、太大生(たいたせい)。潙山云く、黄檗師兄も亦た少なからず。

師、潙山を辞す。仰山送り出して云く、汝向後(こうご)北に去かば、箇(こ)の住処有らん。師云く、豈(あ)に与麼(よも)の事有らんや。仰山云く、但(た)だ去(ゆ)け。已後(いご)一人(いちにん)有って老兄を佐輔(さほ)せん。此の人は祇是(ただ)頭有って尾無く、始め有って終わり無けん。

師、後に鎮州に到るや、普化(ふけ)已(すで)に彼中(かしこ)に在り。師出世するや、普化、師を佐賛(さんさ)す。師住すること未だ久しからざるに、普化全身脱去す。

 

②私訳

臨済は黄檗の手紙を携(たずさ)えて潙山のところに出向いた。ちょうど仰山が接客係をしており、臨済に応対した。

仰山は手紙を受け取って言った。

「これは黄檗のものですな。御使者のもの(境地)はどこにありますか」

臨済は仰山に平手打ちを食らわそうとした。

仰山はそれを留め、「そこまでおわかりなら、もうやめましょう」と言って、一緒に行って潙山に面会した。

潙山は問うた。「黄檗師兄のところにはどれくらい衆僧がいるのですか」

臨済「700人です」

潙山「誰が指導者ですか」

臨済「先程すでに手紙を渡しました(者、自分です)」

今度は臨済が問うた。

「潙山和尚のところにはどれくらいの衆僧がいるのですか」

潙山「1500人だ」

臨済「多いですね」

潙山「黄檗師兄のところも少なくはない」

臨済が潙山に暇乞いをし、仰山がそれを見送って言った。

「あなたは北に向かえば、良い住所があるでしょう」

臨済「どうしてそんなことがありましょうか」

仰山「とにかく行きなさい。すでに一人の者がいて、その者があなたを補佐してくれるでしょう。その者は頭があって尻尾がなく、始めはあるが終わりがないような者です」

後に臨済は鎮州に到ったが、普化がすでにそこにいた。臨済はそこで住職になり、普化がそれを補佐した。しかし、間もなくして、普化は全身脱去してしまった。

 

現場検証及び解説

 

項の最後で解説めいたことをしていた二人(潙山と仰山)が、本文に登場します。やはり同時代の人々でした。臨済と仰山は同世代のようですね。さて、解説を試みます。

仰山が臨済に問答を仕掛けています。封書を受け取り、こう言います。「黄檗和尚のモノはここに頂戴した。して、御使者のモノはどこにござるかな」芝居がかった調子でやると、こんな感じです。気障(きざ)です。モノと表示しているのは、境地のこと。境地とは、何も難しいものではありません。誰にでもある、即今のことです。

臨済はその即今を平手打ちで表そうとします。仰山はそれを留めます。「あなたの境地(即今)と、気概はよくわかった」と。また、仰山は予知能力のある人です。このとき、何か見た、のかもしれません。それが、見送りの際の会話へとつながります。

潙山と臨済の会話はたいした内容はないと思われます。ただ、注目したいのは、臨済の地位です。700人もの衆僧のリーダーになっています。覚醒後も、寺院での地位は、低い時代もあったのではないでしょうか。前項まではそんな感じです。その後、メキメキと頭角を現したのでしょう。今では分家し、自らの寺を構えようかというほどにまで成長しました。

仰山と臨済の会話は、今後の成り行きを予言しています。後に登場しますが、普化という禅僧が奇妙かつ破天荒で、面白いです。この人の特徴をうまく訳せるのか、うまく解説できるのか・・・ご期待ください(笑)。

 

では、今回はこの辺で。近々にお会いしましょう。

 

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