【無門関】やさしい現代語訳・解説 第21則「雲門尿橛」

2023/09/16
 

 

こんにちは!

今回は「仏とは乾いたウンコ」? ナンノコッチャイナー。

 

①本則

雲門、因みに僧問う、「如何なるか是れ仏」。門云く、「乾尿橛(かんしけつ)」。

私訳

雲門和尚にある僧が問うた。「仏とは如何なるものでしょうか」雲門和尚は言った。「乾いたウンコだ」

 

②評唱

無門曰く。「雲門謂つべし、家貧にして素食を弁じ難く、事忙しうして草書するに及ばずと。動(やや)もすれば便ち尿橛を将(も)ち来って、門を撐(ささ)え戸を拄(さそ)う。仏法の興衰(こうすい)見る可(べ)し」。

私訳

雲門和尚について言うならば、家が貧しいので、排泄物と食べ物の区別がつかず、仕事が忙しく文字を書く暇もない。ややもすれば、乾いたウンコなどを持って来て、門を支え、戸を止めようとする。ここに仏法の興隆と衰退を見ることができる。

 

③頌

閃電光 撃石火 眨得眼 已蹉過

私訳

電光石火のきらめきは、またたきする間に、過ぎ去って。

 

現場検証及び解説

【本則】

茂木健一郎と養老孟司の対談本に「スルメを見てイカがわかるか!」(角川新書)というものがありますが、乾いたウンコというのもそれと同じことだと思います。

ひと言でいうと「生々しさがない」。それで「お前が言う仏なんぞ、乾いたウンコだ」と。

スルメを研究したって、一向にイカのことが分かってきません。イカを研究するなら、水槽で飼ってみるとか、海に潜って観察するとか、もっと実態に差し迫った方法でやらなければなりません。また、イカについての本を読み漁るだけでは、不充分です。本で読んだことを実際に観察して、確かめることが必要です。

この質問をした僧は、仏教の勉強はよくしていたのでしょう。しかし、それは非常に観念的なものに過ぎなかった。それを一瞬で見抜いた雲門和尚は「お前が言っている仏は乾いたウンコだ」と応じたわけです。暗に「ウンコそのもの(仏そのもの)を研究しなさい」という示唆だともいえます。

 

【評唱】

無門先生のコメントは、表現豊かではありますが、中身はありません。要するに、雲門のことを思いっきり貶(けな)しながら、実は褒めているのです。ややこしい!

このような作法を「抑下の托上」というらしい。無門先生は皮肉っぽく、ケレン味たっぷりのものの言いようが、大変お好きなようです。

 

【頌】

最初の二句、電光石火のきらめきというのは、雲門和尚の応対のことをいっているのだと思います。つまり、「仏とは何か」と質問してきた僧の境地、力量を一瞬にして見抜き、的確に答えた、と無門先生は大変評価しているわけです。

的確な答えとは質問僧に響くものでなければなりません。「乾尿橛」がただ奇を衒(てら)った答えだとは、私は思いません。雲門和尚が、質問僧の薬になる答えをしたのだ、と考えます。

しかし、この答えは予め準備されたものではなく、また思考を経たものでもなく、パッと口をついて出たという類の言葉です。禅的にいえば「即今の対応」とでもいうのでしょうか。

最後の二句「またたきする間に過ぎ去って」というのは、暗に「わからない人にはわからないだろうな」というような含みがあるように、私には感じられます。

本則は実話だろうと思いますが、もしこのやり取りの現場に居合わせたら、ハッとするような印象を受けたのではないかと想像します。しかし、それを活字にして第三者に提示するかたちになると、全く別の印象をもちます。私には、奇を衒ったものと映るのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

暗示、含み、装飾的なイメージの多様がこの無門関の特徴ですが、このような様式は読み解く面白さはありますが、誤解も招きやすいと思います。

この無門関のややこしさを読みほぐし、皆さんにわかりやすく提示し、もっとストレートに仏教を語ってみたい、というのが私の野望です。

ご意見、ご批判いただけると幸いです。

 

では、第22則でお会いしましょう。

次回の記事:【無門関】やさしい現代語訳・解説 第22則「迦葉刹竿」

 

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