ぼくが瞑想修行で読んできた名著4選

2021/12/18
 

故立花隆さんの著書に「ぼくはこんな本を読んできた」(文春文庫)がありますが、今回はそのタイトルにちなんで、修行の参考になった本を紹介したいと思います。どうぞ、お付き合いください。

 

「怒らないこと 役立つ初期仏教法話①」アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ新書)

これはかなり売れた本ですね。最近はあまり見かけませんが、一時期はブックオフでよく見かけました。私も確か100円で見っけて買ったんだと思います。ロングセラーですね。怒りという誰にでも身近な感情を、明確にしかもわかりやすい言葉で解き明かしている。それだけでなく、その対処法もバッチリ説いている。名著です。

スマナサーラ長老は、ユーチューブでお見かけすると、日本語の発音があまりお上手じゃないんですが、言葉はしっかり正確に使っておられます。さすがです。日本の仏教は中国からの輸入が主でしたから、難しい漢語が並んでいる印象がありますが、この本は全然そうじゃありません。もともとお釈迦さまの教えはインドですから、こちらの方が本家本元なんですね。ただ猛烈に自己反省を強いられる本ですので、ムカムカしてきて怒りたくなるかもしれません。それでも、「怒る人はバカです」と平気でいう方ですので、読む覚悟は必要かもしれません。

ですが、仏教を単なる教養としてではなく、明るく生きていくための力にしたいと思う人は、ぜひチャレンジしてみてください。ぼくも、この本を読んで、もう目からウロコ落ちまくりましたね。たとえば、怒りには8種類あるって知ってました? 怨み、軽視、張り合い、嫉妬、物惜しみ、反抗的、後悔、激怒、です。ね、スゴイでしょ! これを読んでくれているあなたが何歳かわかりませんが、そこそこ生きていたら、これらの感情に思い当たるフシはあると思います。ほら、わかりにくければ、漫画「サイコパス」に「色相がにごる」って言葉があるでしょう? あれですよ、あれ。ちょっと思い出してみてください。

これらの感情が、私達の生き方を、不幸にしてきませんでしたか? もっと広げて言えば、人類史の不幸のすべてがこの怒りにあるといえませんか? 私はこの本を読んで、これを発見したお釈迦さまって、なんてスゴイ人なんだー! とリスペクトの感情が猛烈に湧いてきました。それと同時に、2600年も前にお釈迦さまが発見したにもかかわらず、今だに人間はそれを克服できないでいる、なんてことだ! とも思ったものです。皆さんは、どう感じるでしょうか?

 

「禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄」 藤田一照・伊藤比呂美 (中公新書)

禅寺に限らず、日本のお寺では、あまり質問できない雰囲気がありますね。「無ってそもそもなんなんですか」とか「死んだらどうなりますか」とか、気軽に聞けないですよ、やっぱり。小さい頃から「空気読む」練習してますから。ここではそういうことは聞いてはいけないんだ、と直感的にわかります。だから、聞けないし、聞かない。だけど、それだと、だんだん欲求不満が募ってきますね。

また、そもそも毎日のように坐禅組んで修行してるのに、進歩してるのかどうか、分からないというのも、不安になってくる。柔道みたいに黒帯何段とかないし、強くなってるのか、上手くなってるのか、やり方はこれでいいのか、誰もレクチャーしてくれないし、励ましてくれもしない、身内からは「全然変わんないよー」とダメだしされる始末。そうすっと、修行が嫌になってくる。私もそういう時期が何度かありました。

そんなときに、本書を偶然にブックオフで見つけ、読んでみたら、ドンピシャの一冊で、この藤田一照さんの本を結構読みあさりました。藤田さんは曹洞宗の僧侶で、安泰寺という物凄く大変なお寺で6年間修行されたあと、アメリカで17年間、禅を教えていた方です。アメリカ人て多分容赦なく質問してくるらしい。だから、藤田さん、言葉が鍛えられたんだと思います。

禅の伝統に根ざしながらも、自分が体験を通して学んだものを、私たち素人にも分かりやすく、伝えてくれます。また、伊藤さんがアメリカ人並みに、バンバン質問しているから、痛快な仏教入門書になっていますね。禅の文献について伊藤さんのこのコメントが凄い。「言葉の裏に、わかる人にはわかるけど、わからない人にはわからないし、わからせようとも思ってない、内輪の冗談みたいな考え方が、いっぱい埋め込まれていて…」

禅の文献は本当に難解。何回も読めなんて、殺生です。以後、自分が読んで面白いと思うものしか読まなくなった。で、そうして仏教が深く分かってきた後で、もう一度禅の文献にあったてみたら、また、わかることがあるかもしれない、というのが私の戦略です。まだまだ中途半端ではあるけれど、分かってきたことも少しはあります。ちょっとだけ偉そうに言わしてもらえば、当時の中国人、比喩が多すぎる。何でも何かに例えて言いたがる。もうちょっと、スパーンとハッキリ言わんかい! と僕なんかいっつも思ってるけどね。ゴテゴテした回りくどい装飾文を、必要以上にありがたがることはないし、読み解いたからってどうということもない。そう思っています。

 

「ニュー・アース 意識が変わる 世界が変わる」エックハルト・トール サンマーク出版

この本は新刊書店で買ったんだけど、よく買ったと思うよね、我ながら。というのも、一見トンデモ本に見えるから。このタイトル、そしてブルーの怪しい表紙…。なんじゃこりゃー!と最初は思った。勝手なイメージを持って、訳もなく毛嫌いする、偏見ってやつですね。でも、それを乗り越えて(?)、よくぞ買った。

あなたも、窮したら、本屋に行って、神経を研ぎ澄まて、なんかヒントはないかなーと、嗅覚を働かせるんだ。そうやって自分にとっての重要な一冊を見つけるんだよ。

さて、この文章を書くにあたってパラパラと読み直してみたら、実にとんでもない名著です。禅や仏教を勉強している人はもちろん、キリスト教を信じる方々にも読んでもらいたい。トールさんによれば、キリスト教の「罪とは的外れな人間の生き方を意味」します。罪人とか言われて、何にも悪いことしてないのに、なんでだろうって思ってたけど、これならよーくわかる。罪人の自覚、私にも大いにあります。

ただ、的外れの原因は、その人の個人的人格にあるわけではなく、誰しもが持っているエゴに原因がある、とします。なので、俺が悪いんじゃねー! エゴが悪いんだー! ということなのです。また、ここは本書を読んで、よーく理解していただきたいんですが、エゴは自分とイコールではありません。正に罪を憎んで人を憎まず、とはこういうことです。

つまり、エゴを憎んで、それに振り回されている人のほうは許そう、という寛大な態度ですね。なかなか出来ませんが。イエス様も言われました。「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです」

本書は全編、エゴの構造、生態の解説とその対処法です。まあ、エゴイズムを克服するのは大変なことですし、大抵の人は無理だと思うでしょう。ですが、そのことが自分をどれほど苦しめているかをハッキリと知れば、どうにかしようと思うだろうし、どうにかしようと思えば、エゴについて知ろうと思うでしょう。だから、割とみんな、自分が苦しんでいることに、無自覚なのかもしれませんね。それはそれでいいんです。享楽的に生きることが、それほどのものでもないことに、みんなそのうち気がつきます。

トールさん、仏教からの引用を、本書の最初に挙げています。拈華微笑。この謎に満ちた逸話を、こんなに美しく解釈をした人を、他に知りません。「2019年・精神世界で最も影響力のある人物ランキング100」というブログがあって、トールさん、4位なんですね。ちなみに3位はダライ・ラマ法王です。ま、なんだかアメリカ寄りの統計であるような気もしますが、それにしても、もう少し日本でも注目されてもいい人だと思います。訳書が少ない。私も本書を久しぶりに手にしたんですが、じっくり読み直したい気になりました。まだまだ、エゴは健在で、手強い。継続的に取り組まないとね。最後に、エゴの問題は、人類の問題です。エコ(地球環境)の問題はエゴの問題抜きには解決しないんじゃないのかなあ。

 

「アイ・アム・ザット 私は在る ニサルガダッタ・マハラジとの対話」(ナチュラルスピリット)

「仏教の話じゃなかったのかー!」という罵声が聞こえてきそうですが、いいんです。今の私にとって一番重要な本は、間違いなくこの本です。この方、ヒンドゥー教の覚者なんですが、どうしてこういうところにたどり着いたのか、よくよく考えてみると、ユーチューブなんですね。修行のヒントを探して、あれこれ見ているうちに、ムージ、パパジというヒンドゥー教の覚者の法話に惹かれました。おおらかで懐が深いところがとても良かった。

一方、仏教、お釈迦さまは、とっても厳しい、特に戒律が…。戒律の重要性はわかるし、守ろうと努力はしていますが、息苦しくなることもしばしばです。こんなの人間業じゃない、と言いたくなることもしばしばです。その点、ヒンドゥー教はあんまり禁欲的ではない。また、「悟れる人は悟れるし、そうじゃない人はそうじゃないんだよー、あんまり気にすんなー」みたいなことで、すごく優しいというか、寛大なところが、私にたぶんアピールしたんでしょうね。

いっぺんに好きになって、ムージ、パパジの本を読んだ後、その師匠筋にあたる、20世紀の聖者ラハナ・マハルシを読み、さらにニサルガダッタ・マハラジにたどり着いたわけです。ラハナ・マハルシは写真を見ると、ふんどし一丁のおじいちゃん。読んでみて、仏陀はこういう感じの人だったんじゃないか? と思いました。16歳のとき家出して、アルナーチャラという聖山で修行して、あんまりすごいんで、周囲に自然にアシュラム(修道院)ができた、という人。

一方、本書のニサルガダッタ・マハラジは小さなタバコ屋の親父で、小学校4年生くらいの学歴しかない人です。ラハナも相当好きなんですが、マハラジのこの一冊にしました。今、パッと考えてたんだけど、ラハナ・マハルシがバッハの音楽なら、ニサルガダッタ・マハラジはソウルミュージックなんですね。ビンビンとハートに響いてくるんですよ。本文からいくつか引用してみます。

●至高の状態は、普遍の今、ここに在るものだ。すべての人がすでにそのなかで分かちあっている。それは存在の、知ることと愛することの状態だ

●傷つけられたとき、あなたは泣く。どうしてだろう? なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。あなたの愛を身体に閉じこめてはならない。開いておきなさい。そうすれば、それはすべてへの愛となる。

●あなたのなかにある残酷さ、野蛮さ、不条理さ、冷酷さ、つまりは幼稚さに完全な注意を払いなさい。そうすれば、あなたは成熟するだろう。

どうですか? もちろん、文脈のなかで読むのが一番です。この本の欠点は、2段組みで500ページ以上あること。ジジイには重い。死ぬ間際まで、枕頭の書にしたいと思ったから、マジで考えた。割って3分冊くらいにして読みやすくできないかなーって。息子にそれ言ったら、そこは、やっぱりタブレットでしょ、とか言いやがんの。そーじゃないんだよ! 紙でね、こうやってね、めくってね、線引いたりフセンつけたりして読むのがいいんだよっ、それが読書ってもんなのっ!

 

 

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