夢の御告げで修行が始まったんじゃよ

2021/06/27
 

スーパー仙人の1977年紅白歌合戦

1977年の暮れだった。親父が紅白を観ながら、こう言ったんだ。「ああ、コレがピンクレディか…。」「えええっ!ピンクレディー知らなかったのぉー!」親父は小学校の教師だ。「女の子らが、なんやけったいな踊りしてるなあ思て、何それ?て言うてたんやけど、コレのことやったんか…。」あの年、あれほど世間を賑わしていたピンクレディーである。目にしないことは、ほとんど不可能に近かったと思うのだが、この御仁は、女の子達のまねっこ踊りを毎日のように目にしながら、本物は紅白で初めて観たという。「ビートルズを知らなかった紅衛兵」という本があるけれど、情報規制のないこの日本で、この様なことが起こりようとは…。以来私は親父のことを密かに「スーパー仙人」とあだ名いたしました。浮世絵離れしたお人じゃわい、という感慨を込めて。

 

お袋さん、あんたは正しい

どこかピントがずれたような人だっただけに、私が「古本屋をやる」と言ったときの反応も、必ずしも思慮深いものではなかった。「ふんふん、あんたに向いてるかもしれへんなぁ、やりやり!」そう言ったのである。それを真に受け、始めちゃったわけであるが…。後で聞くと、お袋にこう言われたらしい。「タケシにそんなことができるわけないでしょう!」それで、反論も出来ず、シュンとなってしまったんだそうな。これを聞いて、腹は立たなかった。さもありなん、そういう感じ。やってみてわかった。向いてない。その器じゃない。やらかしてしまった責任の重大さに押しつぶされそうになった。ああ、サラリーマンやってりゃ良かったんだよう、俺! お袋さん、あんたは正しかった。でも、やり始めたことだから、1年足らずで「やっぱり、辞めます」とはさすがに言い出せずに、悪戦苦闘しているうちに、気がついたら何とか軌道に乗っていたんだから、人生は不思議なもんですな。

 

商売って、結局バトルなんだと気がついた

軌道に乗ったとはいえ、その後も順風満帆とは当然いかなかった。1999年にはうつ病を患った。軽うつとか、そういうんじゃないよ。数か月寝込んだんだから! ホンット、冗談じゃないよぉ! なめとぉんのかぁ、こらぁ!ということで…。その間、カミさんがつないでくれたから助かった。子どもも小さかったからね。小康を得て、店に復帰して、また、続けていったんだけど、古本屋の収入だけで2人の子どもを育てるのは、オレ的には大変でした。だからね、疲れたのね、正直。それに、やっているうちに気づいたんだけど、商売って結局バトルなの。同業者間では、他を出し抜いて、こっちに持ってくる、それが儲けになる。客との関係では客に大きく勝たせて、こちらは小さく勝つ、それが儲けになる。要するにペコペコして、お代をいただく…という。大型店の進出がそれに拍車をかけた。要するに、際限のないバトルゲームに嫌気がさした、行き詰ったんですね。ここの所、すんごく重要で、どう行き詰ったかを、的確に伝えることが出来たら、それが仏教の教えになる。皆さんにも、「なーる!」思っていただけるのですが、私の筆にあまります。で、先を急ぎます。

 

あいつ、憑き物がついたか、と思われてた

1992年に古本屋開業。1999年に禅寺との縁ができ、その年の夏、うつ病を患い、年明けくらいから復帰、ということでした。で、本格的に坐禅を始めたのが、2008年の10月1日。なぜ、始めた日を正確に覚えているかというと、きっかけはその朝見た夢だったから。どんな夢かというと、「後頭部スレスレで障子らしきものがピシッと閉まり、後は修行しかない」という…。それだけのこと。後は修行しかない、というところも、声がしたとかいうんでなく、そういう言葉が浮かんだという、そんな感じでしたが、すごく真に迫っていて、起きて「ああ、坐禅をやれ、ということだ」とはっきり悟って、なんの迷いもなく、坐禅会に行き坐禅をした。それまではせいぜい週一くらいでやっていたのに、毎日毎日やってきては、朝も早よから熱心に座ってるもんだから、周りからはちょっと不審に思われたようです。あいつ、憑き物がついたんじゃないかって。でも、自分的には、夢の御告げでこうなってます、というのが正直なところ。まあ、当時はそんなこと口にしなかった。余計に変な奴と思われるからね。これを読んでくださっている皆さんにも、そういう方がいらっしゃるかもしれない。でもね、こういうことは、あるんですよ。夢に対しての理解も、そこそこあった。心理学者の河合隼雄先生の本もかなり読んでいた。夢日記をつけていた時期もあった。だから、御告げとかいうと神がかっていて、そんな非科学的なぁ、とあきれられるかもしれないが、そんなことないです。意味のわかんねえ、ほっといた方がいい夢もたくさんあるけど、自分にとって意味ある夢はあるんです。そして、障子ピシリの夢は、私にとって、決定的な夢でした。マジで、「やるっきゃない、後がない」そんな気持ちになったんです。

 

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