やっぱ日本人なら、言い訳っしょ

2021/06/27
 

大勢の前で演説するとき、アメリカ人なら、まずジョークから入るらしい。ジョークをまず一発かまして、笑わせて場の一体感をつくり、それから話し出すんだそうな。日本人はどうか? 言い訳から入る。「本来ならば私はこのような高い所から皆様に向かってお話するような分際ではございませんが誰それから是非にと懇願されたため断り切れず大変僭越ではございますがこの場に立たせて頂いている訳で御座います…」じゃあ、やめろよ、とヤジを飛ばしたくもなるが、これが日本人のメンタリティというものだ。

ブログデビューを果たすにあたって、何か前置きめいたものが必要だなあ、と熟考したすえ、言い訳から始めることにした。

その① なぜブログを始めるのか?

坐禅が10数年の習い性になっていて、皆に向かって何か一言申し述べたい、という気になった。場違い承知で、古本らくだやのTwitterに、チラッと坐禅について呟いてみたところ、意外に反応があって、それがほのかに嬉しかったのです。それから、時々坐禅ネタで呟くようになったのですが、ご存知のように、Twitterには字数制限があります。表現したいことを思いつき、書き出すのですが、どうしても字数が足りず、中途半端な言い方になってしまったり、書き直すうち、ニュアンスが違ってきて、投稿をあきらめたりしていました。ブログなら思う存分に言いたいことが書ける。それが一つ。

もう一つは、息子がこのブログを按配してくれたこと。なにせ、私は全くの機械音痴なんですから。また、どんなことにせよ非常に臆病な性質なので、落語「愛宕山」幇間一八の如く、後ろからドン!と背中を押してもらわなければ、おそらく、なんにも出来なかったことでしょう。

「お父さんのTwitterなかなかいいよ。オレが作るから、ブログやってみなよ。古本屋がダメになっても、ブログだけ継続して出来るようにしてやるから」という言葉も胸に響きました。そうだなぁ、店が潰れて、バイトで食いつなぐとしても、何か生き甲斐はあった方がいいなぁ、それに万が一長生きして入院する羽目になったとしても、闘病しながら、生死についての一考察、なーんてブログに書いてみるのも悪くない、と思ってしまったのです。

それにしてもマイナス思考のオンパレードですな。同じ妄想をするにせよ、どうして、ブログでバーン!と当てて、一軒家ブチ建てて、夢の印税生活しようぜぇ!という話にはならないのか。なんとかしたいね、この性格。

その② なぜ、メインタイトルが「坐禅修行」でなく「瞑想修行」なのか?

ざっくりいえば、禅の落ちこぼれ、だからです。禅寺と縁があり、何も知らぬまま坐禅を組み、禅の勉強から始めたのですが、禅の文献、教えが全く分からず、往生しました。ぜんぜん、ぜんのはなしがわからない、なんてシャレにならないよ。分かりたいのに分からないって苦痛ですよね。持病のうつの症状まで出てしまう始末。で、禅を裏切るようで後ろめたくはあったのですが、私としては仕方なく、テーラワーダ仏教の本を手にしたのです。具体的に言うとスマナサーラ長老の本です。サンガ新書の「役立つ初期仏教法話」シリーズというのがあって、売れている本ですから、ブックオフにも当時相当出回っていた。それを買って読んでみたところ、これが抜群に面白かった。こんなに仏教って分かりやすく、面白いのか!と開眼する思いでした。

禅がダメでテーラワーダ仏教はいい、という話をしたいのではありません。ですが、私と禅の相性が、どうやらあまりよろしくないようで…。まあ、これはちょっとした冗談として聞いてほしいんですが、中華風味のインド料理を食していたら、腹痛を起こしたらしいんです。トイレに籠ってウンウン苦しみながら思ったものです。「インド料理はインド味に限る…」そう。あくまでも相性の問題です。テーラワーダ仏教をある程度勉強して、そうしてもう一度禅の文献に戻ってみたら、分かることもあるかもしれない。あの時はそう思っていました。そして、その思惑は「そう悪くない」と今では思います。

禅に関わる方々は、禅に特別な感情をお持ちです。憧れと尊敬と自負。そのことを私もよく知っているつもりです。坐禅と瞑想は違う、という考えもあるようです。禅を揶揄するようなつもりはありません。ですが、100%肯定することもできない。分からないことは、分からないと言いたい。しかし、私のような半可通が不用意に禅を語り、禅を貶めるようなことをしてはいけない、と自戒もしています。そのような理由から、あえて坐禅修行とは言わず、テーラワーダ仏教やヒンズー教寄りの言葉で、瞑想修行といたしました。もちろん、テーラワーダ仏教やヒンズー教を代表する者でもありません。どんな宗派にも寄らず、自己責任で、自分勝手に、自由気ままに、しかし真面目に修行中、です。

元プロ野球選手の新庄剛志さんによると、どんな分野にも宇宙人枠というポジションがあるらしいので、是非私をその枠に入れていただいて、これから語るどんな突飛な言説も、あいつなら仕方がないと、笑って見逃していただければ助かります。

その③ コイツややふざけます

ここまでの書いてきて思ったのですが、コイツややふざけます。どんな肉体精神機構にも、持って生まれた性格というものがあって、それはなかなか矯め直し難い。照れからなのか、何なのか、真面目な話に差し掛かると、おふざけが始まります。そうなったらそうなったで、それはもう徹底的にどうにもならないことなので、世間の皆様には予めお許しを願っておきます。言葉には気をつけます。傷つけたら謝ります。どうかよろしく。

さて、言い訳はこれくらいにして。お釈迦さまに叱られてしまう。「言い訳なんてして、いいわけないでしょ!」

あれ? すべったかなあ…。

 

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Copyright© 瞑想修行の道しるべ , 2021 All Rights Reserved.